4月25日、土曜日。

結局昨夜は3時半就寝、10時近く起床。相場のポジションは持ち越してしまった。もう気が気ではない。

しばしばこの日記にも書いているように最近とみに視力が落ちた気がする。寝床で本を読んでいても字が追いにくいし、ちょっとでも暗いと本を読めない。おまけに近頃はテレビやPCの画面を見ていても目が悪くなったと感じる。たまにかすみ目みたいに感じる時もある。

高校のころの教師の一人が授業中に突然、禁煙することにしましたと話し始め、その理由というのが医者にこのまま煙草を吸い続けたら失明の恐れがあると言われたからというのが鮮明に記憶に残っていて、ちと大袈裟だがもしかしたら僕もこのままでは失明してしまうのではとときどき不安になる。父は白内障だったし弟と叔父は緑内障である。それに、年寄りくさいのだがここ最近車を運転していると気がつくと顎を上げていて首が疲れる。

というようなことがずうっと気になっていたので、町内に一軒しかない眼科が土曜も午前中だけはやっているということを調べて、昼前に行った。まずは視力検査。すると、予想外なことに普段PC用のつもりでかけている眼鏡(まあこれで運転もしているのだが)が本を読むには度が強過ぎると言われた。視力が落ちているどころかこの眼鏡で1.0は見えるというのだ。その後医師の診察を受けると病気はないと言われて一安心、近頃目が悪くなった感じがして云々、という話をすると疲れているせいではないですかと言われた。それでPC・読書用にもっと度が弱い眼鏡を作った方がいいと言われて処方箋を出してもらった。

そんなわけなので、本が読みにくいのは目が悪くなったというよりはむしろ眼鏡の度が強過ぎるからということが判明。

午後、処方箋を持って眼鏡を買いに行く。ちょうどドトールと同じ敷地内に眼鏡屋が出来たので。そこで眼鏡を購入、レンズが出来るのは一週間後とのこと。ついでにドトールで一服していくことに。カウンターの前で並んでいると、ちょうど僕の前に並んでいた若者がアイスコーヒーを頼んだのだが、ガムシロップはいらないが普通の砂糖が欲しいと言って砂糖を入れていた。一体何のこだわりがあってどういう意味があるのだろう。ともあれ、カフェラテを一杯飲んで少々本を読んで帰宅。

ポール・オースターを読むと先日書いたのだが、長編を読んだ後なので短い奴が読みたいと思って柳美里のエッセイ集「貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記」と、各方面で随分と話題になった米澤穂信の短編集「満願」を平行して読んでいた。で、「貧乏の神様」を読み終わったのだが、多重債務に陥り電話やインターネットは停められ水道などのライフラインまで停められる寸前の一文無し状態という困窮生活の話なのにどうにもシンパシーを感じなかった。これだけ金がないのに車はあるわ、温室はあるわ、子供はぶくぶくに太るわ、旅行に行くわ、同居している15歳年下の男性は仕事をしている気配がないわ、どうにも共感のしようがない。そもそもだらしがないというか、生き方が情緒的に過ぎる。なんだろうね、この人は。

母のところに行くと、昨日叔母がやってきたようでその話によると僕のかかりつけである歯医者(姉妹でやっている)の姉の方が亡くなったということを聞いてショックを受ける。僕よりも若いのに。膵臓がんだそうである。

昨日今日と娘さんの引っ越しの手伝いで酒田に来ているという大学の同級生であるOさんに夜電話してみた。もう東京に帰ったのかと思ったらまだ酒田にいて、明日帰りがけにデート(のようなもの)をすることに急遽決定。少々緊張してしまう。何しろ会うのは30年振りである。そういえば高校生のころ、生まれて初めて喫茶店でデートしたときに緊張のあまり煙草を1時間で10本ぐらい吸った記憶があって、たぶんこれは実際のところは5本ぐらいなのだろうが(もし1時間に10本も吸ったら気持ち悪くて具合が悪くなる筈である)そんなことを懐かしく思い出す。

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