5月20日、水曜日。

また体調がドツボに陥った。

9時過ぎ起床。今日手帳に書いた予定は、1)銀行、2)ゴミ、3)掃除の3つだけ。朝起きたときは疲労感があって食欲があまりなかったけれどそこまで体調が酷いとは思わず、朝食後に気になっていた2階の廊下から階段をホウキで掃除。これで予定の3番目、掃除の半分ぐらいは終了。その後、なんとなく業務に赴き煙草を確保。昼頃から物凄く暑くなる。帰り道に銀行に寄る。

午後帰宅するころにはかなりダルくなっていた。しかし、朝起きられなくて出せないまま納戸に置いておいた燃えるゴミ2袋が異臭を放ってきたのでゴミ処理場に持って行くことにする。ついでに、3袋も溜まってしまったプラスティックごみも普通のゴミ袋2袋に入れ替えて持って行く。計4袋、180円なり。普通に7時台に起きてゴミに出せばタダなのだけれど、今の体調だととても起きられるとは思えない。

これで予定していた家事は粗方終えたわけだが、ゴミ処理場から帰宅するころにはすっかり具合が悪くなる。とにかく疲労感、倦怠感が半端ない。まるで腎臓を患っている人のように異様に疲れている。4時過ぎになり、あまりにも疲れ方が酷いのでソファに横になって本でも読もうとする。そこでふと例の漢方薬のことが気になって精神科に電話した。漢方薬を処方された翌日の月曜から体調が物凄く悪いのだがどうしたらいいか訊ねた。薬が合わなかったら飲まなくてもいいという無難な答えが返ってきた。結局どうしたらいいのかよく分からない。大体、薬が合わないだけにしては疲れ方が異常過ぎる。

このころにはすっかりただの具合の悪い人になっていて本すら読めず、呆然とひたすらソファで横になっていた。

すると、夢を見た。夢の中で弟に電話した。台所で、冷蔵庫の脇(実家の台所には存在しない場所)だけにライトが点っていた。突然、物凄くはっきりと弟の声が聞こえた。「試合中に話すなといったでしょ」こんなような言葉が電話を通しての声ではなく、リアルな声として聞こえた。

そこで目が覚めた。ああまだ生きていると思った。時計を見ると6時だった。今のは「ちょっとした危篤」のような状態だったように思えた。つまり、生死をさまよったような気がした。それで、最後に聞こえたのは母ではなく弟の声だったなと思った。

起きようとしたがいまだに身体が鉛のように重く、なかなか起きられなかった。ようやく起きて台所に移動するが、顔色を失っているのが自分でも分かる。具合が悪過ぎて食欲はまったくないが、何か食べなくてはと思い、レトルトのカレーでなんとか夕飯を済ませる。その際、考えた挙句に精神科から処方された方の漢方薬は飲まなかった。泌尿器科から出されている漢方薬の方は飲んだ(もう1ヵ月ぐらい飲んでいるので)。

しかしその後も体調は一向によくならず、精神科の漢方薬を飲まなければいいというわけではなさそうだった。あまりにも酷い疲労感。煙草を吸うと胸が痛くなる。自分がまるで幽霊にでもなったような気分だ。晩年の父がよく死ぬほどダルいと言っていたことを思い出す。父もこんな感じだったのだろうか。

ここまで体調が悪いと当然相場には手を出せない。青ざめた顔でネットでACLのガンバ大阪とFCソウルの試合を観戦。試合は宇佐美の2ゴールなどでガンバが3-1で勝った。何もしないでいるとひたすら具合が悪くなって気が滅入りそうなので、その後はちまちまとギターを弾いたりしてみる。実際、何もしないで寝ているよりはまだマシなのである。そのうち動悸が酷くなってくる。思いついて血圧を計ってみる。すると、先日精神科で計ったときもそうだったが、以前よりも20ぐらい高い。元々そんな高い方ではないので高血圧というほどのものではないが、動悸がするのはこの辺が関係あるのだろうか。

それにしても全身乳酸の塊のような異様な疲れ方、一体これは何なのだろう? 正直ここまでボロボロになるとどうしようもない。生きているのが不思議。

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