5月30日、土曜日。
夜、母のところから帰宅して僕にしては遅い夕飯を食べ終わり、BSでJリーグのFC東京対柏の試合を見ていると、地震のテロップが出た。ツイッターのタイムラインにも地震だというツイートが続出。テロップでは震源が小笠原諸島ということだが、ふと見ると頭上の蛍光灯の紐が微かに揺れている気がする。中継の画面が揺れ、実況が大きいですねと言う。途端に、画面は試合を中断してニュースに切り替わった。テロップから1分ぐらい遅れて明らかに揺れ始めた。それほど大きいというわけでもないのだがゆらゆらと揺れ方が長くて気持ち悪い。この辺ではたぶん震度2ぐらいだったとは思うものの、実家に戻って2年ちょっと、山形というのは案外と体感するぐらいの地震が少ないのでちょっと怖かった。それに、小笠原諸島が震源なのにここまで揺れるというのも不思議に思えた。見ると、マグニチュード8.5と出ている。これは大きい。東日本大震災がM9.0で1200年に一度の地震という認識だったので、これだけ大きい地震だということにびっくり。なにしろ関東大震災ですらM8.0なのである。
結局画面は試合中継には戻らず、延々と地震のニュースを伝える。それによると小笠原諸島と神奈川県の一部で震度5強、埼玉で5弱、都内で震度4だからかなり大きいことは確かで、長く揺れたので都心の人はさぞ肝を冷やしたことだろうと思う。いかに大きい地震だったかというのは北海道から沖縄までほぼ日本全国が揺れたということからも分かる。今回は震源がかなり深かったのでこれぐらいで済み津波の危険もないということだが、いずれにしてもこれだけ大きい地震がたかが数年の間隔で来るというのはいくら地震大国とはいえビビる。個人的にはやはりまだ震災のトラウマがある。つくづく、日本というのは地震さえなければ住みやすいところなのだがなあと思う。
昨日のことがあるので朝は懸命に二度寝して9時過ぎに起きた。やはり、なんとか7時間寝れば大丈夫な模様。日中は30度まで気温が上がりとにかく暑い。夕方まで家に篭ってひたすら宮部みゆき「ソロモンの偽証」を読む。そんなわけでつい先ほど読了。
なにしろ文庫で6巻もあるので、読み始めは果たして最後まで読み終えるのかと心配になったけれど、会話が凄く多いので6巻とは言ってもぎっしり文字が詰まっているわけではなく、文体が平易で読みやすいこともあって案外とすいすいと読み進んだ。
宮部みゆき『ソロモンの偽証』読了。面白かった。終盤、ことの真相も結末も見えてしまったけれど、それでも面白かった。ディテイルの書き込み方のバランスが前半は多過ぎ、終盤はあっさりし過ぎているような感じはするのだけれど、読後感はよかった。
— Sukeza (@anykindoflove) May 30, 2015
宮部みゆき、ところどころの記述(というか語彙)がいかにも昭和の人というのが散見されて、まさに自分と同世代という気がしてこそばゆい。それと、上手下手ということではなくて、彼女はアマチュアリズムの作家だなあと改めて思う。
— Sukeza (@anykindoflove) May 30, 2015
『ソロモンの偽証』、伏線を丹念に書き込み過ぎたところがあり、論理的に考えれば途中から結末が見えてしまう。これだけ長い小説でありながら冒頭から最後までプロットに矛盾が生じないのは見事なのだけれど。登場人物を一人一人丁寧に書き込んだのはよかったのだが、欲を言えば(続く)
— Sukeza (@anykindoflove) May 30, 2015
(続き)主人公である涼子がもうちょっとフォーカスされて魅力的な人物として浮かび上がるようにして欲しかったなとは思うものの、これは青春群像劇として読むべきなのかな。
— Sukeza (@anykindoflove) May 30, 2015
とまあ、いろいろごちゃごちゃとツイートはしてみたが、簡単に言えばとても面白かったしよく出来た小説だった。ただ、それだけに欲が出てしまうわけで。ツイートにも書いたけれど、ディテイルの書き込み方のバランスがもうちょっと取れていればなあと。それでも先日読んだ米澤穂信「満願」(このミス1位)よりはずっと面白かった。好みもあるだろうけど、つくづく「このミス」みたいなランキングはあんまり当てにならないなと思う。「満願」は後味がよくなかった。そういう意味では「ソロモンの偽証」の方が後味がずっといい。
それはそうと、昼間、書斎のPCの電源を入れてディスプレイにウィンドウズが立ち上がるまでのほんの束の間、ディスプレイに映りこんだ痩せこけて貧相な自分の顔を見て、なんというか、この歳まで生きてきて自分が悪役になった気がした。つまり、この世の中で自分は主役ではなく脇役なのだというこれまでにない奇妙な感覚がした。この感覚は一体なんだろうとしばらく考えた。今思うと罪悪感の延長だったのかもしれない。それにしても妙な感じだった。ある意味新鮮とも言えなくもないが、要するに自分が悪漢になったような、自分にとってよそよそしい人格というか存在になってしまったような、実に変な感じだった。もしかしたら僕は自分自身を少しずつ嫌いになっているのかもしれない。つまり、僕は自己嫌悪の投影を垣間見たのかなと。