6月25日、木曜日。

ちょっと睡眠時間足りないかなと思いながら9時過ぎに起床。今日はなんだか朝からやけに暑い感じがした。なので、業務に行って涼もうと思ったのもそれなりに無理もない。だがこれが失敗だった。4時間ほどボコボコにされる。しかも冷房効き過ぎて寒かった。Gジャンを持って行ったので事なきを得たが。

相場とかに比べれば全然大した金額ではないのだが、気分的にボコられたというショックを引き摺る。そのせいか、帰宅して本を読んでいると急激にバテてきて今日もソファで小一時間ほどうとうとする。要因はいろいろあるだろうが、4時間の業務でそれなりに疲れた(情けない話ではあるけれど)ということ、睡眠時間が30分ほど足りなかったということ、それに台所の室温が30度以上あったことか。とにかく、うとうとしてから読書用の眼鏡をかけてまた台所に戻るとバテ方が酷く、気分が悪くなって頭痛がしてきそうになった。読書用の眼鏡は度が軽いので読書時以外にかけていると視界がぼやけて見えるのでそのせいもあるかもしれない。普段の眼鏡に戻すと多少ましになったが、とにかくなんだか今日はやたらと暑い気がする。あまり風がなかったせいだろうか。不思議なことに南向きの書斎よりも北向きの台所の方が暑かった。夏バテかもしれないと思う。

いずれにしても、最近の傾向としては昼寝をするとかえってへばる。6時ごろにスパゲッティの夕飯を食べようかと鍋に湯を沸かし始めたものの食欲がなく、結局珈琲を飲むだけに留めてバテバテの状態のまま母のところに顔を出す。すると、こういうへばっているときはむしろ身体を動かした方がいいようで、母のところにいる間に大分気分は戻ってきた。少なくとも極端にバテている状態は脱した。もしかしたら特養は冷房が効いていて涼しかったので、そのせいもあるかもしれない。

帰宅後改めて湯を沸かしてスパゲッティの夕飯。今日は相場がギリシャ情勢もあって方向感がなく、なかなか入るタイミングが見つからない。夜の指標時にポジションをひとつ取ってみたが結局同値決済。あとは自粛。

というわけで、中村文則「」読了。中編ひとつと短編ひとつの薄い文庫本なのだが、これがどちらも実にお粗末、ただひたすらがっかりした。前回「掏摸(スリ)」を読んだときにはよく分からなかったが、この作者は単に下手なのだということが分かった。まず文章が下手過ぎる。日本語としておかしい表現が頻出。興味本位に題材を取り上げてこねくり回した挙句、ひたすら不快で救いのない方に話を転がしているだけなのだがその運び方が下手過ぎる。だから物語をきちんと落とし込めない。ただ興味本位なだけでそこには深淵なテーマなど存在しない。ドストエフスキーやカフカを引き合いに出すなどもってのほか。そんな深みはどこにもない。

真面目な話、読んで損した。このところ、新しく読む作家の本が立て続けにハズレだった。そんなわけだから特定の好きな作家の本に集中してしまう。何しろ読んでみないことには分からないから、新しい作家を開拓するのも難しい。というか、アマゾンのレビューはまったく当てにならない。「このミス」とかのランキングもそうだが。

というわけで次に読むのは筒井康隆の「旅のラゴス」。安心して読めるジョン・アーヴィングの「サイダーハウス・ルール」と、前から気になっていたジュノ・ディアスの「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」をアマゾンで注文。もちろんどちらも中古。

明日は朝10時に母の介護認定があるので特養に行かねばならない。念のため9時にアラームをかけておく。しかし今日は暑かったという印象。

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