淫夢

6月30日、火曜日。

昨夜寝たのは2時過ぎ、8時ごろに目が覚めたので何度も二度寝(奇妙な言い回しだが)を試みたのだがどこかから工事の音が聞こえてきてどうやっても5分後に目が覚めてしまうので諦めて8時20分に起きた。当然睡眠が少々足りない。

昨日の相場での大敗のショックが冷めやらず、しかし逆にやる気だけはある。なので、朝食後から相場のチャートに向かう。だがやっぱり眠い。これはちょっと寝ないとダメかもと11時過ぎに書斎のソファで毛布を被る。このころはまだ寒いような気がしたのである。なかなか眠れず、1時間ほど横になって目を閉じてうだうだしているとそのうちようやく寝たらしい。それで、淫夢を見た。

それが物凄くリアルだった。感覚や感触といったものが凄くリアルだった。しかし僕は夢の中でこれは夢だと気づいていた。つまり、正確を期すなら淫夢を見たというよりも淫夢を見る夢を見たということであり、もうちょっと違う言い方をすれば感覚があまりにもリアルだったので淫夢を体験する夢を見たといってもいい。なにしろ夢だとわかっているのだからなるべく引き伸ばしたいと思っていたのだが、残念ながら夢の中で夢から覚めてしまった。庭に人が現れて夢から覚めてしまうという(ややこしいが)夢。こういう入れ子構造の夢はたまに見る。しかし本当にリアルな夢だった。そういえばもう長いことセックスしてない。それがまざまざと感覚としてよみがえった。来月(というか日付が変わったので今月)また年を取るし、年齢的にも田舎で一人暮らししている状況から言っても、風俗にでも行かない限りもうセックスすることはないのかもしれないとときどき思う。性欲がなくなったわけではないけれど、抗うつ薬のドグマチールを飲み続けていると性欲は落ちる。したがってどこか淡泊になっているところもあり、そんなことが頭に浮かんでも物凄い焦燥感に駆られるわけではないのだが、なんか凄く寂しい感じはする。だが、今日のようにリアルな淫夢だったら毎日見たいものだと思う。

昼寝から目が覚めると1時ごろだった。昼寝している間に、ツイッターのタイムラインを見ると新幹線の車中で焼身自殺があったり箱根が噴火していたりしていて、世の中についていけてない感凄い。その後も夜まで相場。昨日の今日なので結構必死である。途中からポジションを保持、夜まで引っ張ろうと試みる。前述のように昼寝をした頃合まではヨットパーカーを羽織っても寒いような気がしていたのだが、夕方近くなってスーパーに買い物に出たところ、外は暑かった。ずっと台所に篭っていたので気づかなかったが。

ぎりぎりまで迷ったが、母のところに行くときも相場のポジションはそのままにしておいた。しかし、結果的にはこれが裏目に出たというか母のところから戻ってみると同値決済になっていて、出かける前に利食いしておくべきだったと歯噛みする。なんとか夜にまたポジションを取り直して一応日当程度のプラスは叩いたが、何しろギリシャ問題のせいで難しいことこの上ない。明確なトレンドがあるわけでもないのであまり無理できない。無理すると昨日のようになる。

母は最近ますます記憶が怪しくなってきている。ちょっとボケかけているのかと思えるほど。そういう風に思うのは辛い。しかし、何しろ周りにいる老人たちがほとんどボケてしまっているので、ああいう人たちと毎日ずっと一緒にいたらしょうがないのかと思わざるを得ない。それが可哀想で仕方がない。なかなかそういうことをしょうがないとか仕方がないという具合に自分の中で収めることができない。どうしても、特養に預けずに自宅にいたらなあとか思ってしまうのだった。もちろん、それがどうにもならないことであることは分かっているのだけれど。統合失調症という病気のせいもあるし、年齢的な衰えもあるのだろうが、僕がもう少ししっかりしていればなんとかなったのではないかと思ってしまう。時間を巻き戻したい。そういうのって辛い。

ストレスが凄いので、昨日から煙草の本数は20本を超えてしまい、結局元に戻りつつある。昨日は23本、今日は現時点で既に21本。ところが不思議なことに先週まで悩まされた異様な倦怠感、疲労感というものは今週はまだない。とすると、煙草の本数自体はあまり関係ないのかなと。

そんなわけで宮部みゆき「名もなき毒」読了。そこそこ面白かったのだけれど、果たしてこの話にこの枚数(結構分厚い本である)は必要だったのかと思う。特に新聞連載終了後に書き足したラストは少々冗長に思えた。杉村三郎シリーズの2作目で、いかにもシリーズの真ん中の作品という印象がして、ちゃんと1作目(「誰か―Somebody」)から順番に読めばもう少しすんなりと読めたのかなと思う。いずれにしても、大コンツェルンの娘婿、つまり逆タマであるという主人公を活かしてもう少し爽快感は出せたのではないかなと思う。少々「毒」というキーワードに拘りすぎた感もある。いずれにせよ、いつもながら一気に読んでしまえるリーダビリティ、読みやすさは素晴らしい。

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