7月3日、金曜日。
今朝も早く目が覚めたものの三度寝して10時前起床。ところが、驚いたことに昨日の草取りの疲れがまだ残っていた。というか、今日は丸一日へばってしまった。恐るべき体力。たかが小一時間の草取りで翌日丸一日バテるとは自分でもびっくりだ。これでは日中散歩すると翌日寝込むというのも分からないでもない。とにかく身体中が重い。足が鉛のようで、特に膝に来ている。
昨日あれだけ懲りたはずなのに何故か今日も業務に赴いてしまい、案の定無駄骨に終わる。あまりにも昨日の疲れが残っていたので、そのまま家に留まっていても何もできない気がしたからなのだが。帰宅後の午後はソファで本を読もうとするとうとうとしてしまう。夕方近くなってもへばったままでどうにもならず、またもやソファで横になって1時間ちょっと気絶。母のところから戻った夜になっても疲れは一向に取れず、今日は一日グロッキー状態だった。我ながらびっくり。
あまりにもへばっているのでさすがに危機感を覚え、夜の10時近くになってから散歩に出た。この山形の片田舎では夜徒歩で出歩く人などほとんどおらず、夜半に散歩するとむしろ不審者のようではあるのだが。近所を30分ほどかけてぐるりと一周する。それで驚いたことにうちからワンブロックの角の突き当りの家の苗字が思い出せず、歩きながらずっと考えていたのだがどうしても思い出せない。あいうえお、かきくけこ、と順に考えたのだがどうしても駄目。この家のご主人は元教師で先生と呼ばれていてうちの父の葬儀にも出てくれたし、その後に亡くなってしまったのだった。何先生だかがどうしても出て来ない。帰宅後、ゴミ当番の表を見てようやく思い出す。土田先生だった。このところ特に人の名前の度忘れが酷い。アルツハイマーじゃないかと焦る。不思議なことに苗字を思い出すと下の名前は出てくる。
さらにびびったのは、その直後、ネットで女子W杯の写真を見ていてなでしこの宮間の苗字を忘れてしまったことに気づいたのだった。宮部みゆきをつい最近まで読んでいたのでその連想で「宮部あや」という名前が浮かんでしまい、違うことは分かるのだがどうしても「宮間」が出て来ない。スポーツ新聞のサイトでなでしこのラインナップを見てようやく思い出す。これには正直唖然とした。本当に若年性のボケではないかと。いくらなんでも酷過ぎる。それでいて、ツイッターのタイムラインに映画「レオン」のゲイリー・オールドマンの写真が流れてくると、一緒に写っているのを見てナタリー・ポートマンという名前はすんなり出てくる。一体全体、自分の脳の記憶構造がどうなっているのだろうと思う。前述の散歩しながら土田先生の苗字を思い出そうと必死にいろんな苗字を頭に思い浮かべていると、とうに忘れたと思っていたいろんな人物の名前と同時に顔を思い出したりもした。なんでこいつを覚えているのかと思うような人間まで覚えている。その癖、肝心な人の名前は出て来ない。
実際このところ物忘れが酷くて、度忘れしてググることがほぼ毎日のようにあるのだが、そのたびにメモに日付とともに書いておくことにしている。こうすると覚えられるからだ。その中にはサッカー選手・監督の名前やら、俳優の名前やら、自分がかかったり母の手術を担当した医師の名前があったりする。当たり前だがメモはどんどん増えていく。これはつまり、忘却の歴史であり自分の記憶がいかに頼りないかを示すものである。あと二週間ちょっとで僕も誕生日がきて56歳になるが、この年齢でこれだけ記憶力が衰える、忘れてしまうというのは一般的に考えてどうなのだろうか。自分の感覚ではちょっと病的な感じがする。いくらなんでも酷いという気がする。以前ドラムのミヤザワがツイッターに、年齢は関係ない、70歳を過ぎても人によっては頭の回転はまったく衰えないというようなことを書いていたが、だとすると僕の場合は一体どうなのだろうか。
そういえば極度の薬漬けになっていた数年前まで、時間の感覚がなくなっていたことがあった。記憶の時間軸というものが失われ、順番通り記憶が並ばないので昨日と一昨日の区別がつかなかったり、一週間とか一ヵ月とか半年といった期間を把握することもできなかった。実際問題として安定剤であるベンゾジアゼピン系を長期服用すると認知力が落ちるという説もある。もう安定剤はほとんど飲んではいないのだが同系統の睡眠薬はいまだに毎晩飲んでいるし、なにしろ10年以上向精神薬を飲み続けていたのでまだその影響下にあることも考えられる。薬でブレていたときはこんなことを考えなかったし、頭を悩ませることもなかったのだが。
何かと憂鬱である。たかだか小一時間の草取りで翌日丸一日へばってしまう体力のなさも憂鬱であるし、まるで老人並みの物忘れも憂鬱。感覚的には体力も認知機能も推定80歳ぐらいになってしまったような気分。とほほとしかいいようがない。