欠損

7月4日、土曜日。

今日も何もできなかった。まったくダメダメな一日だった。確かに今日は土曜日で、別に何もしなくてもいい日だったのかもしれないが、それでも自分の人生の中で今日という一日が欠落した時間のように思われた。ちょっと精神状態が酷過ぎた。

朝食後、皿を拭いて食器棚に戻すときに誤って落としてしまい、その皿と小さな食器が少し欠けた。ほんの少し欠けただけでも食器というのは使えなくなってしまう。

今日も業務に行ってしまった。というのも、本日(7月4日)はナナシーの日、田山さん(パチプロ)の命日だったからだ。それが言い訳だった。気がつくと、いつの間にか僕は田山さんの年齢を追い越していた。途中、隣の席に座ったおっさんのハンドルを握る手がまるで痙攣でもしているように小刻みに震えるように動き続けているのがうざくて、嫌だなあと思って見やると、その右手には人差し指と中指がなく、親指と薬指と小指の3本しかなかった。恐らく旋盤とか何かの機械で指を落としてしまったのだろう。絶え間なく動き続けるその奇妙な手が鬱陶しかったのもあるけれど、何か酷く嫌なものを見てしまった気がした。

今日もツキがなく三連敗。途中からただひたすらストレスだけが溜まって、自分は一体何故こんなことをしているのだろうという疑問だけが頭に浮かんだ。金額はたいしたことがないけれど、実に嫌な気分だった。帰宅後も嫌な気分がつきまとった。今日だけではなく、これまで業務に費やしてきたすべての時間が「無為」という言葉そのものに思えた。気分が塞いでどうにもならない。自己嫌悪と後悔。気がつくと、のっぴきならない泥のようなものに足を取られでもしたように何もできなくなっていた。そのうち手が痺れ始めて、これは極度の抑うつ状態に自分があるとわかり、安定剤を1錠飲んだ。しかし、薬は気分が悪くなる方に効いた。結果、それまで以上に煮詰まっただけだった。

しょうがないのでソファで毛布を被り(今日は涼しかった)うとうとした。とにかく日中はあまりにも精神状態が酷過ぎて何かをできる気がまるでしなかった。何か文章でも書こうと思っていたのに、一行も書けないどころか机に向かう気すら起きなかった。ただソファに横たわって、ぼんやりと考えるのが関の山だった。

今日の調子の悪さは、そんな風にまったくもって精神的な要因だったように思える。それが身体をひたすら重くする。実際、身体が言うことを聞かない。顔が青ざめているのが自分でもわかる。僕は病人そのものだった。つまり、病んでいた。

あまり空腹を覚えなかったが、放っておくとそのまま本当に何一つできないまま終わってしまいそうで、6時過ぎにレトルトのカレーで夕飯を食べ、それから母のところに行った。今日の母は比較的調子がいいように見えた。口数は少ないものの、話すことはしっかりしていたように思う。

帰宅後の夜はテレビで映画「HERO」を最後まで見てしまった。この軽佻浮薄でリアリティのまったくない話を見るのはもう確か3度目だ。なんでこんなものを見ているのか自分でもよくわからなかったが、かといって他に何かできそうにもなかった。すっかり覚えている話でもあるし、途中から酷く無駄な時間を過ごしている気がして焦燥感を覚えそうになったが、どうせここまで見たのだからと最後まで見ると、一日がほぼ終わっていた。

それから、YouTubeで成宮寛貴のA Studioを見た。この俳優は名前しか知らなかったが、母子家庭なのに母を亡くして中学生のときから弟と二人だけで生きてきたということに衝撃を覚える。中学もろくに行かずに働いて弟を育てた。こういう人に比べると、僕という人間の人生は一体なんだったのだろうと思う。

こんな風に酷い気分で何もできずに一日が終わる。今日という一日は、朝方落として欠けた食器の破片のようなものだった。

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