戦争と平和、でもない

8月7日、金曜日。

どうしてこう日中は煮詰まるのか。ただ単に暑いせいなのか。

何のアイディアも湧かないので昼過ぎまで業務(ただ涼んだだけ)。思いの外朝早く(と言っても8時過ぎだが)起きたので帰宅後眠くなる。冷房をつけた茶の間で(昨夜からポジションを持ち越したので)相場のチャートを見ていたのだが眠気に負け、うとうとしていると電話(固定電話)が鳴った。

知らない人だった。どうやら母の教え子らしいが、なかなか名乗りもしないし僕のことを「君」と呼んだりしてなんか慣れ慣れしい。そのうち、先の戦争(第二次世界大戦)に日本が参戦したことをどう思うか、それは悪いことだと思うかという、突拍子もない議論を吹っかけてきた。僕としてはただ単に見知らぬ人から突然絡まれたという感じである。僕自身は右でも左でもないし、そりゃあ日本は悪かったと思うがアメリカだって戦争したことは同じだと思うというと、じゃあドイツは、とか切りがない。と、急に便意を催したので電話を置いてトイレに駆け込んだ。それでようやく戦争談義はけりがつき、相手は名乗った。やはり母の教え子であり、大学卒業以来ずっとアメリカに住んでいるという。聞いてもいないのに昭和27年生まれ、僕よりも7歳年上だということまで判明。母のことのみならず、僕自身のことまで仕事は何をしてるだの、精神疾患ってなに? とかずけずけと訊いてくるので正直不快だった。この、やたらとずけずけ物を言う人はどうやらアメリカから電話をかけているらしいのだが、そのわりには随分長電話である。40年ぐらいアメリカに住んでいるせいなのか、それとも生来のものなのか、母が老人ホームに入っているというと、あと3年ぐらいは生きているのかとか、いちいち言うことが失礼極まりない。そもそも最初から僕を年下とみくびって見下した言い方をするので癇に障る。

ようやく失礼な物言いの電話は切れた。僕はその母の教え子の名前をメモって、いつもより少々早いけれども4時ごろに歩いて母のところに面会に行った。名前を告げると母は一発で分かった。母の話によるとサンフランシスコ辺りに住んでいるらしい。母はいろんな記憶が覚束ないが、教え子のこととかは本当によく覚えている。今日の母は比較的表情もよくて、いつもに比べると話ができた方だった。

先日庭仕事をした際のひっかき傷がいまだに両腕に残っているのだけれど、昨夜その傷のひとつのところが虫に食われたように腫れて痒かった。今日は左の足首が赤みが差してやたらと痒くなり、どうやら蚊ではなさそうなのでやはりダニがいるっぽい。かといってどうやって対策を取ったらいいのか分からないので、ひとまずドラッグストアに行って虫刺されの薬(液体ムヒ)を買ってきた。足に塗るとすうっとして気持ちいい。しかし、そこだけではなくて頭のてっぺんやらなにやらいろんなところが痒くなり、そこまでダニがいるとは思えず。で、昨夜痒くなった右腕の内側がまた発疹のようになって痒くなり、もしかしたら蕁麻疹かもしれない。

今日も頭が回らない。少なくともいい方には回らない。昨夜から相場のポジションを持ち越したものの、頭がぼうっとして利食いし損ね、そのうち夜に雇用統計があるのがだんだん怖くなってきて夕方ほぼ同値で逃げた。雇用統計は予想より悪い結果なのにドルが買われ、結果的にはポジションをそのまま保持していてもよかったのだが、それは後になって分かること。指標後に小遣い稼ぎをした程度で週末なので手仕舞い。

またあちこち痒くなる。なんだろう。風呂上りなのに。やっぱりダニではなさそうだ。明日皮膚科に行った方がいいだろうか。ネットで調べたらこの町唯一の皮膚科、土曜日も午前中はやってるらしいので。

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