祭りの準備

9月2日、水曜日。

久しぶりにTシャツ1枚で過ごせる陽気、今日はちょうどいい気温だった。後で本日の最高気温は30度を超えていたと知ってびっくり。そこまで暑いという感じではなく、非常に過ごしやすかった。日中は午後まで風が強かった。

朝9時ちょうどにドアチャイムの音で起こされた。階下に降りてみると郵便受けに回覧板が届いていた。昨夜寝たのは2時半ごろなので、ここ最近のパターンでいくと睡眠時間からいっても一日中眠気に悩まされるはずである。正直昼寝を覚悟していた。ところがどういうわけかこれを書いている今に至るまで、今日は眠気に悩まされることはなかった。昼寝もしていない。10時半近くまで寝ていた昨日がぐだぐだに眠かったのに、これは一体どういうわけだろうか。何が違うのかというと、本日はここまでただの1錠も薬というものを飲んでいないのだった。つまりそういうことなのだなと。要するに最近の眠気は睡眠時間云々というよりも、薬の副作用だったようだ。もちろん、今日しかサンプルがないのでまだ推測の域を出ないのだけれど。考えてみれば春先は漢方薬を飲んですっかり体調が悪くなったりと、このところの僕は体力のなさ故か薬に滅法弱くなっている。いずれにしてもしばらく薬の類は必要最低限に留めようと思う。

夜まで基本的に相場。このところ基本やルールがおろそかになっていると反省して、いつになく慎重にやったので同値決済がやたらと多くなった。利食いし損ねて同値、また同値、という具合である。ちなみに同値決済というのは含み益が出たときに逆指値(ストップロス)を損失ゼロになるように置くことだ。つまり、最悪裏目ってもほぼプラマイゼロということである。ちょうど損益0円にしておくと決済のタイミングで何十円かマイナスになってしまうのでその分を計算して置くこともある。日中はパートのバイトをした程度のプラス、夕方近くなってようやくチャンスが2回ばかり訪れ、夜になって日当程度で決済。その後は敢えて自重。結果的には慎重すぎていささか消極的だったかもしれない。だがやはりここ最近(というか今年というか)の僕の課題はときどき大きく負けてしまうことにあるので、まずはそこから改善していかなければならない。結局のところ、大負けさえなくせばなんとかなるものだ。

そんな具合に相場をそろそろと慎重に進めていたので大きく含み損を抱えることもなく、比較的小刻みに決済していたのでポジションを持っていないときに手持無沙汰になり、今日は4時ごろに早めに母のところに行った。ここ最近の母は非常にまともというか、普通である。確かに年齢的なものもあっていろいろと覚束ないけれど、まず表情が自然だ。今日は数行ばかり日記を書かせてみた。もはや達筆だった母の面影はなく文章も怪しい。しかし、どうやら今日ボランティアかなんかで特養を訪ねてきたらしい知人(幼稚園で僕の先生だった人のようだ)に、僕のことを仕事をしていなくて恥ずかしいと話をしたと語って、そういうところは凄くまともなのである。

夜、相場を手仕舞いして後は自重すると決めたので10時近くに久々に夜の散歩に出てみた。田舎の夜はなんとなく怖い(笑)ので少しばかり。向かいの人の家は真っ暗で、10時前には寝ているようだ。何しろ昼間からあまり人が歩いていない田舎町、さぞかしひっそりと寝静まっているのだろうなと思ったら案外とそうでもなかった。まず、虫の声がする。それに家々に明かりが灯り、街灯も少なく暗い夜道ながらそれなりに生活が息づいている感じはする。突き当りを珍しく声高に話しながら二人連れが通り過ぎる。途中で犬の散歩をしている人と擦れ違う。横溝正史の小説に出てきそうな旧家が立ち並ぶ通りを歩き、こんな大きな家に住んでいたらさぞかし夜は寂しいだろうな、それに固定資産税が大変だろうなとか思う。何しろ2軒でほぼワンブロックを占めている。ぐるっと一回りすると、ひっそりと静まり返った夜の町に賑やかな声が響いてくるところが2か所ばかりあって、それはどちらも町内会の公民館で祭典事務所という明かりが点いており、青年会の人たちが集まって祭りの準備をしているようだった。平日のこんな夜まで集まっているのだなと妙に感心する。そして、それはとても田舎の秋の夜らしいと思った。

秋の夜は虫の声とともに更けていく。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク