文章を書けない病

9月25日、金曜日。

最近この日記の読者も順調に(?)減っている。むべなるかな、それはつまらないからだ。実際自分でもそう思う。先日胃潰瘍らしきもので弱り切ったときに以前の日記を10年以上前までさかのぼってみたところ、今とは全然文体も内容も違っていた。昔の方が面白い。最近の日記はただ冗長なだけで文章としての面白みがない。いつから僕の文体、文章は変わってしまったのだろうか。正直言って、うつ病が酷くて薬漬けでへろへろになっていたころの日記の文章の方が今よりも随分とマシなのである。自分の記憶力がかなり怪しいと思って以来、いつ何があったのか備忘録的に毎日書き留めるということを念頭に置くようになってから、ここに書くスタイルも変わって文章も生硬になり、徐々に記録的になっていったようだ。ただ、今ではそれが当たり前になったというよりも、昔に比べると単純にボキャブラリーであるとか、文章を書くというイマジネーション自体を失っているような気がする。その証拠に、以前だったらいくらでも書けていた雑文中心のfragmentsもさっぱり更新出来なくなった。書くネタが見つからない、思い浮かばないということもあるが、それ以前に自分の文章がつまんねーな!と思ってしまっている。つまらないと思って書くものは必然的につまらなくなる。最初に自分のサイトを始めたころは道を歩いていても頭の中に電光掲示板のようにずっと文章が浮かんできたものだが、今ではそんなことはまったくない。今は日記を書くのも四苦八苦だし、それもその日に何があったのか、いちいち自分がツイートしたものを読み返さないと思い出せない始末。なんというか、記憶力もそうなのだがイマジネーションの枯渇としか言いようがない。これを単純に脳の老化と言ってしまっていいものなのだろうか。世の中には70になっても80になっても一向に頭の切れの衰えない人がいくらでもいることはツイッターのタイムラインを見てもテレビを見ていても分かる。半年も一年も文章書きませんでしたというのならまだ分かるけれど、曲りなりにも義務的に毎日この日記を書いている。なんつーか、一応毎日文章は書いているわけだ。にも関わらずどんどん文章が下手になっていくというのは。劣化というにはあまりにも酷い、と自分でも思うのだが、一体自分の頭の中で何が起こっているのか、そこら辺がよく分からない。たぶん恐らく、このところあまりにも思考回路が悲観的傾向にあるので、知らず知らず自ら想像力に蓋をしてしまっているのかもしれない。実際問題として、最近は何か想像すると悪い方にばかり想像してしまうので、想像するという行為自体にうんざりしているところがある。だからこれは、もしかしたら僕の思考のベクトルの問題なのかもしれない。単にスキルの問題というよりは。

それはともかく、今日はとにかく寒かった。午前中業務に行ったら半袖の人もいたので、またもや僕だけが冷え性なのだろうかと思ったのだが、午後帰宅してからも寒くてしょうがなく、最初はTシャツの上にヨットパーカーを羽織っていたのだけれど、Tシャツの代わりに長袖のカットソーを着て、とうとうその上にスタッフジャンパーを羽織った。我ながらなんという寒がりなのだろうかと思ったのだけれど、調べてみると今日の山形の最高気温は18度、実際に寒かったのだ。今日みたいな日に半袖で平気な方がどうかしている。ついでを言えば最低気温は16度、なんと一日の気温差が2度しかなかった。一体全体、どういう加減でこうなるのだろう。

今日も相場はチビって利食い、よく言えば堅実に済ませた。週末なので夜は自粛、様子見に徹する。

火曜日に著しく体調を崩して以来、胃潰瘍だと思っているので毎朝胃酸を抑えるネキシウムを飲んで、毎食後にドグマチールを飲んでいる。そのドグマチールのせいだと思うのだがとにかくやたらと腹が減る。確かに今日は6時ごろに早めに夕食を済ませたというのもあるけれど、夜テレビでなんとなく「ゴジラ」を見ていたら急に空腹を覚えてどうにもならなくなり、たまらずに車でコンビニまで行ってポテトチップスの大袋を買ってきて一気に半分ぐらい食べたのだがそれでも(気分的に)空腹を覚える。どういうことなのかなあ。かといってたぶん胃潰瘍だからドグマチールはしばらく飲み続けなければならんし。実際、薬を飲み続けてから大分体調は戻った。

しかし「ゴジラ」(2014)、たまたま去年10年振りぐらいに映画館に行って見たものを改めてテレビで見ると、劇場で観るのとテレビで見るのは随分と違うものだなあと。当たり前の話なんだけど、迫力が違う。画面の大きさ、存在感があまりにも違うなと。ちょっと気づくのがいくらなんでも遅過ぎたという感。

そんなわけで、文章は書けないし腹が減っているのである。ちなみにメモっておくと、今日は8時間寝た。

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