友人の葬儀

11月19日、木曜日。

二度寝して起きると10時過ぎ、どうもこのパターンからなかなか抜け出せない。とにかく夜寝るのが遅過ぎる。

午前中、相場のポジションを取っていると携帯が鳴った。町内の叔母(父の姉)からだった。話しているうちに、イナバ先生が亡くなったという話になった。イナバくんは僕の小中学校の同級生であり友人である。叔母が新聞を見ながら言うところによると、一昨日亡くなって今日の午後葬儀だという。電話を終え、本当だったら葬儀に出なければと思った。とはいうものの、急な話だし、叔母は何しろ高齢(88歳)なのでにわかには信じ難い。ひとまず、イナバくんのすぐ近所に住むマキに電話して確認してみることにする。しかしマキもまた隣町の小学校の先生をしているから、12時を過ぎないとまだ授業中かもしれない。こういうときは新聞を取っていないと分からない。いつもは母のところで新聞のおくやみ欄をチェックするのだが、今週は結局一度も新聞を見る機会がないまま面会制限になってしまった。

12時をちょっと回った時点でマキの携帯にかけてみるが出ない。叔母の話によると葬儀は1時半から。どうしよう。行ってみて違う人だったら。葬儀会場は父と同じ場所だったので、電話してみることにした。すると、やはりあのイナバくんだった。

なんだかんだで1時半ぎりぎりに入場。まだ56歳の現役教師の葬儀ということもあって、会場は満杯だった。自分と同い年の友人の葬儀ということでどれだけの感慨と喪失感があるかと思った。つまり、これは僕の葬儀であってもおかしくなかったのだ、という具合に。ところが、弔辞の人数が多く、それも皆長くて、なんだかみんな弔辞が長いなあとかそんな雑念ばかりが湧いてくる。弔辞の最後は友人代表でマキだった。マキは言葉を詰まらせる。僕の葬儀でもこんな風に誰かが泣いてくれるのだろうかなどと考える。

終わったのは3時ごろだった。どうもいまひとつピンと来なかった。というのも、田舎の実家に戻ってそろそろ3年が経とうというのに、かつての同級生で実際に会ったのはまだマキだけだったからだ。イナバくんは小学校のときによく遊んだ。一番仲がよかったのはマキだったが、その次ぐらいにイナバくんとは仲がよかった。中学に上がってマキとは同じテニス部でずっと一緒だったが、イナバくんとはクラスが変わって次第に疎遠になっていった。それっきり、僕はイナバくんと会ったことがない。

ただ、遺影のイナバくんには確かに見覚えがあった。もちろん子供のころの面影もあるが、リアルタイムのイナバくんもどこかで見覚えがあるのだった。でも、僕は確かに彼とは40年ぐらい会っていない。結局、会わず仕舞いに終わってしまった。だがそこには深い後悔というものはなく、彼の死にリアリティを感じることはいまひとつなかった。

今日思ったのは、死というものは当事者(やその家族)以外には、ひとつのエピソードに過ぎない、ということである。それが寂しいことなのかどうか、いまだに僕には分からない。

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昨夜ずっとガタついていた台所のドア、今日は静かだった。昨日は雨が降っていた。とすると、あれは気圧の関係か何かだったのだろうか。

夕方の6時前に利食いして今日の仕事は終了。その後は「JIN -仁ー」の完結編の第6話を見て、夕食後に野球をしばらく見た。7回まで大谷が完璧に抑え込んでいて3点差があったのでてっきり勝ったと思い、久しぶりに「YOUは何しに日本へ?」を見ていたら、いつの間にか日本は逆転負けを喫していた。誰がどう考えても、あのまま大谷を完投させるか、せめてあと1回投げさせていれば普通に勝てていた試合だった。

久々に見た「YOUは何しに日本へ?」、今日はあまり楽しめなかった。実際のところ、切実なリアリティは感じていないものの、僕は確かに今日、友人を一人なくしたのである。

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