宝船の効用

1月8日、金曜日。

先日初夢用に折った宝船(厳密に言えば帆掛け船)をずっと枕の下に置きっ放しのままなのだが、それ以来毎日何かしらいい夢を見る。残念ながら具体的な内容は忘れてしまったが今日もそれなりにいい夢を見た。もちろんこういうことは単なる気のせいなのだろうけど、それでも無意識下に枕の下に宝船があるといい夢を見ると思っていればプラセボ効果というか、何かしら効果があるのではないかなどと。

朝起きてみると外はうっすらと雪が降った跡があった。しかしそれも日中にはすっかり融けてしまう。だが寒いことは寒く、母のところで天気予報を見ると今日の最高気温は5度だったらしい。もう1月も8日になるというのに、まったく雪がないというのはどこか気持ち悪いというか。しかしながら天気予報によると今晩は明け方にかけて雪になるらしいし、明日以降は寒くなって雪の予報だ。別に雪かきをしたいわけではないが、一応冬なんだから雪があった方が気分的には落ち着くというか。

今日は頭痛こそなかったものの、また母のところに顔を出すころには気分が悪くなり、やはり多少は風邪気味なのかもしれない。今日は母に先日山形の病院でなんて言われたんだっけと訊かれてどきっとした。血の巡りが悪くなっているので怪我をすると治りにくいから、痒くても足を掻いてはダメだということだよ、と説明しておいた。まんざら嘘ではない。さすがに怪我をすると足を切らなければならないかもしれないとは言えない。

今日は夜に雇用統計があるので日中は相場に手を出しずらく、なんとなく業務に行ったもののただ苦労して元に戻しただけに終わる。結果的には相場もそんな感じで、結局年を明けた今週はうだうだしただけで週明けのプラスを一週間かけて多少減らしただけに終わった。

そんなわけで佐藤正午「アンダーリポート」読了。

とても巧緻に構築されているのだけれど、あまりにも周到にプロットが組み立てられ過ぎている感じが多少する。「Y」「鳩の撃退法」と佐藤正午を読んできて、構成がちょっと似ているのだ。どれも頭の中に結末ありきで書き始められていて、それはそれで見事なのだけれど、ツイートにも書いたようにちょっとパターン化している気がする。音楽でいえばソナタやソナチネの構成が一緒なように。非常によく練られているのだけれど。練り過ぎというのはおかしな話だが、もう少し音楽で言えば即興性が欲しい感じがする。とはいうものの、僕は佐藤正午の書く小説は好きだ。

それで次に何十年かぶりで買った片岡義男の短編集「この冬の私はあの蜜柑だ」の冒頭の一編を読んでみたのだけれど、なんていうかぬるくてリアリティがなくがっかり。老人が無理してお洒落な恋愛を書こうとしているような痛々しさを覚える。昔の売野さんの歌詞を読んで覚えるようなこっぱずかしさを覚えて感情移入や共感ができず、ただ痛い。単純に片岡義男って小説書くのが下手なんじゃないかと思う。これは買って失敗したかなと。

というわけで片岡義男は投げて柚木裕子「孤狼の血」を読み始める。まだ冒頭を読んでいる段階だが語り口硬いな。レナードや佐藤正午を読んだ後だけに違和感がある。ユーモアや繊細さというものが足りない気がするが……。

要するに僕はユーモアと非情さを兼ね備えたレナードの語り口があまりにも好きなのだった。ああいう小説を書きたいなと思う。

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