3.11

3月11日、金曜日。

午後2時46分、外から臨時放送の音が聞こえた。いつも夕方の5時にメロディを流す町の中心部にあるスピーカーから。すべての人同様、僕も5年前のあの日を忘れない。実際、あれ以来世界は奇妙に歪んでしまった感じが拭えない。

その直前まで調子が悪くてコタツで昼寝をしていて、久々に死の恐怖からパニックを来した。ようやく気を取り直して台所で一服していたところでその時間が来た。今日も朝から体調が悪かった。二度寝して9時過ぎまで寝たものの、どうにも具合が悪くてもしかして今年に入って三度目の風邪をひいたのかと思ったくらいだ。

この三日間、同じような日々を過ごしている。朝から夜まで体調が悪くてほぼ何も出来ず昼寝するかちらちらと本を読むかで日が暮れる。ひたすら鬱屈する。気が滅入る。妙に疲れる。膝に来る。

あんまり調子が悪いので午後安定剤を1錠飲んだら、かえって身体がずしりと重くなり逆効果だった。とにかくこのところ、身体も心も重い。

震災の番組を見るのは気が進まなかった。ほんの少しだけ見たけれど。そういう番組を敢えて見なくても忘れたりはしない。

5年前当日の日記

あのとき、僕は南浦和で業務の帰りで駅のエスカレーターを昇っていた。揺れが来て、世界はまるで映画のCGのように思えた。印象としては突如世界が薄暗くなったような、そんな感じがした。

あれから5年、その間に僕は癌になったり父を亡くして田舎に戻ったり母が入院して手術して老人ホームに入ったり、あまりにもいろいろなことが起こったので随分昔のように思える。確実に言えるのは、あれ以来ロクでもないことが立て続けに起こったということだ。それであの日を境に世界が歪んでしまったという気がするのだろう。

実際のところはもしかしたら、ただ単に僕は5年分歳を取ったというだけなのかもしれない。人生とはこんなものなのかもしれない。

夜はどういうわけか、なんとなく途中から実写版の天才バカボンを見てしまった。正直な話、こういう馬鹿馬鹿しいものを見た方が気が楽だ。そういうのって、5年前から目をそらす、逃げることになるのだろうか。しかし忘れないということは5年前から一歩も動かないということではないはずだ。忘れたりはしないけれど、それは確実にちょっとずつ遠ざかる。僕らは生きているのだから。

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