くすぶる

4月15日、金曜日。

今日の日記を書くのはいささか難しい。一日くすぶっていただけだから。まあいつものことだけれど。暑かった昨日からは一転して今日は寒かった。天気もまた、くすぶっていた。

どういう加減か、朝7時20分に起きてしまった。自分の朝のツイートを見ると、風の音がうるさかったからとある。まあとにかく、二度寝できそうもないと思って起きたのだった。昨夜寝たのは2時半過ぎ、当然睡眠が足りない。結果的にこれで一日中眠くて終わったのだけれど、それは朝から想像できたこと。

朝食後、東京株式市場の寄り付きで跳ねたところで一昨日から持ち越していた相場のポジションを決済。そんなことをしていると、隣町の叔母(母の妹)が久々にやってきてお祭り(つまり隣町の)だからということで赤飯とか昆布巻きとか煮物とかを持ってきてくれた。これで今日の昼食と夕食を考える必要はなくなったと一安心、ソファで1時間ばかり昼寝。

午後は頭が回らないので業務を少々、夕方は歯医者。新しい差し歯が入ったんだけれど、治療中に物凄く眠くなってうとうとしてしまった。なんでこんなに眠いんだろうと思うくらい眠かった。

昨日の日記に六本木のことを書いたので昔のことをちょっと思い出した。それで最近ずっと更新していないfragmentsを更新しようと思ってタイトルに「六本木」と書いたまではよかったんだけれど、そこからがなかなか頭の中が整理がつかない。まず第一に眠くて頭が回らない。そんなわけだから本文を書くのは明日にしようと思い、今日はあれこれ思い出すだけにしようと。

六本木と昨日地震のあった熊本絡みで一人の男を思い出す。顔ははっきりと覚えているんだけれど名前がどうしても出て来ない。彼は僕が新卒で入ったオリコン(六本木にあった)で当時集計のバイトをしていて僕よりいくつか年下だった。彼は確か熊本出身だった。シンガーソングライターを目指していて僕のところに曲を持ってきて、それはどう考えても素人のもので拙くお粗末だった(つまり彼はシンガーとして非常に見込みがなかった)のだが、僕は編曲してデモテープのオケを作ってあげたりしていた。

なんで名前が出て来ないんだろう? こうやって思い出しているうちにあれやこれやいろんな表情までつぶさに思い出すのに、名前だけが出て来ない。もう15年以上前に、オリコンの元同僚に彼が脳の病で倒れて入院していると聞いたのが最後だった。

何しろ名前が出て来ないのだからネットで検索しようがない。ふと思いついてオリコンのサイトで会社概要を見た。するとびっくり、監査役に彼の名前が。ようやっと思い出した。たぶんこれだ。少なくとも苗字は確かにこれだ。しかし、バイトでしかも大病に倒れて入院してたはずの男が監査役まで昇りつめたとは。びっくり仰天。なんつーか、隔世の感。

同じような流れで最近とみに話題のBABYMETAL(僕は彼女たちに批判的な意見も持ち合わせているがそれはまたの機会にして)のレコード会社がトイズファクトリーということで、そういえば元バップのイナバはトイズの制作部長になってから随分と偉そうになったし羽振りがよさそうだったと思ってサイトの会社概要を見ると、彼はCEOになっていた。

ここに至って、もう昔の知り合いをググるのはやめようと思った。現在の自分とあまりにもギャップがあり過ぎて。考えてみれば二十年も三十年も経てば、皆それなりに出世していて不思議はないのだけれど、一方でこうして山形の片田舎の実家で職もなく一人くすぶっている自分はなんなのだろうと思ってしまうのだった。もちろん出世だけがすべてではないし、社会的地位や経済面だけが人生でもない。それにしてもなー。なんなのだろうこの違いは。

これでもかつてはオリコンのチャートの一番上に名前が載っていたのにな、俺……。

もちろん皆が皆人生が上手く行っているわけではなくて、秋田の実家に帰って農業を継いでいるアンバイみたいな奴もいるし、いまだにホテルで毎晩ピアノを弾いて貯金もなく年金ももらえないヤマザキみたいな奴もいるし、かつてはオリコンの年間作曲家でベスト5に入っていたI泉さんもほぼ一文無し同然になってしまった。バブルのころは日本のコーディネーターで一番デカい会社の社長だったキムラさんは夜逃げして行方が杳として知れない。

しかしながら、大概の(名前を思い出した)連中はフェイスブックとかで見るといまだに「音楽プロデューサー」の肩書を持ってやっていけてたりする。俺が食えなかったのになんでこいつが、というような奴らが。まあその辺は正直不思議でしょうがないのだけれど。

要するに思い出という奴は思い出すたびに遠ざかる。どんどん距離が離れていく。それで思い出したときにあまりの距離の遠さに驚いたりする。思い出すという作業自体には遠近法のようなパースペクティヴがないので、実際の距離に驚いてしまう。で、ある種逆の視点(つまり思い出された方の視点)から自分を見て驚いたり。

まあそれでも一文を書くとなると思い出すという作業をしなければならないわけです。

明日は母を一時帰宅させて桜でも見せようと。なので暖かくなって欲しい。今日町中を車で走って気づいたのは、中央公園とか場所によってはもう盛りが過ぎている。ちょうど向かいの寺の桜は今が満開だからそれでもいいかな。

いずれにせよ、僕の人生はまだ終わっていない。と思われる。

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