弟、黄色いマンション

5月4日、水曜日。

弟からの電話で目が覚めた。着信履歴によれば9時47分。今日母のところに行くという連絡だったが、電話がなければそのまま寝続けていたっぽい。朝方、7時ごろに一度暑くて目が覚めて布団の上に手を出した記憶はうっすらとあるんだけど。

朝から午前中にかけては予報通り雨だったけれど、昼頃からは晴れた。今日も庭の草取りを少々。朝から相場のチャートは見ていたものの、どうにもトレンドがよく分からなくなったので日中は様子見に徹する。見ていてちょっと動くとポジションを取りたくなり、「休むも相場」もなかなか難しい。要はチャートを見なければいいのだろうけど。

今日はTVerで遅ればせながら今放送しているドラマをいくつか見た。「重版出来」は面白かったが「ラヴソング」はどうも個人的に福山雅治がダメ、クドカン脚本の「ゆとりですがなにか」はやたらと面白かった。それぞれ第4話、第3話なので最初から見たかったのだけれど。ただ、途中から見てもそこそこ面白いということは分かった。

朝の電話によると弟はうちに寄らないということだったので、もう来てるかなと思って3時ごろに母のところに行ってみる。駐車場に弟の車があった。母の部屋に行くと、弟夫婦がいた。弟がうちに寄らず、来たという連絡もしなかったということで、僕は頭のどこかでむっとしていた。なので室内には微妙な空気が流れる。別に今始まったことではないが、近年弟と僕の関係は確執というほどではないけれど昔に比べると距離というか何かの隔たりを感じる。どうもぎこちない。二人でいても会話が弾まないし、むしろちょっと気まずい空気が流れる。「兄弟は他人の始まり」という言葉が頭に浮かぶ。以前にも書いたけれどもそういった微妙な距離感は、弟が僕の弟である以前に一家の主であり夫であり父親であろうとしているからだろう。弟には弟の矜持があって、それが僕らの間に壁のように立っている気がする。途中で弟夫婦は仙台へと帰っていった。

母のところから帰宅後、Jリーグの鹿島対新潟の試合をオンデマンドで見る。

よく分からないので夜まで相場のポジションを取るのは我慢していた。夕食後、我慢出来ずに取ったポジションも一瞬で利食いして閉じる。というのも、なんていうか今日は一筋縄ではいかず難しそうだという勘が働いたから。その後、指標のタイミングでちょこちょこと少しばかり抜いただけに今日は終わる。30ピップス。しょぼい。とはいうものの、実際ポジションを持っていた時間は合計で30分にも満たない。日中からセーブしていたので今日のところはいつになく慎重になった。

というわけで、小泉今日子「黄色いマンション 黒い猫」読了。

読み始めは彼女の独白という印象が強く、文章を読むというよりもなんだかアイドルの本を読んでいるみたいだ(確かにそうなのだが)と思ったのだけれど、ときどきはっとするような鮮やかな文章が出てきて、その加減が心地よい。これは小説ではなくエッセイ集だから当たり前なのだけれど、キョンキョンというよりもむしろ「小泉今日子」という等身大のリアルな女性像が浮かんでくる。気のせいか、後半になるほど文章が巧くなっていくように思えた。

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