6月4日、土曜日~6月5日、日曜日。
昨夜いつものように寝る前にこの日記を更新しようとして「事件」に気づいた。自分のサイトに繋がらない。いつの間にか自分のサイトが消滅している。「このサーバアカウントは停止状態です」という表示だけが出る。サーバアカウントが停止? 呆然自失。もちろんメールアカウントにもFTPにも繋がらない。
がしかし、レンタルサーバのサーバパネルには繋がる。これは一体どういうことなのだろうと焦る。サーバを借りているラクサバの電話サポートは平日の日中だけ。ふつふつと怒りがこみあげてくる。よりによって土曜の深夜にこんなことが起こるとは。このままサーバの中身が消失してしまったら。強烈な喪失感。自分という存在の何分の一かが消えてなくなったような感覚。それでいて、奇妙なことに一方ではなんだかすっきりしたような感覚すらあるのは皮肉だ。かつて、今よりももっとうつ病が酷く薬漬けになっていたころ、自分の居場所はネット上にしかないと思っていたことがあった。そのころであればこの程度の喪失感、衝撃では収まらなかっただろう。たぶん自分自身が消されてしまったような気がしたに違いない。
この事態にどう対処していいものか、というよりもどうやってこの事態を受け入れたものなのか。
とにかくラクサバのサポートに一体何がどうなっているのかというメールを出した。しかし返事は週明けにしか来ないだろう。とすると、日曜日丸一日、このなんだか薄気味の悪い喪失感に耐えなければならない。
あまりにも唖然として、なかなか寝付けなかった。結局寝たのは明け方の4時だった。
6時台に目が覚め、次に目が覚めた9時過ぎに起きようとしたら次の瞬間にワープして10時過ぎに起きた。朝食後に無駄だと思いながら自分のサイトを見るとやはり繋がらなかった。はてさてどうしたものか。マメにバックアップは取っていないので、半年分か一年分ぐらいはなくなったのかもしれない。今のsomekindoflove.net というドメインが使えなくなっているのであれば、どこか違う場所でイチからブログを立ち上げるしかないのかもしれない。そんな風に思って以前登録だけしておいたWix.com に行って新たにブログを作ることを考えた。しかし気が滅入るだけ。いずれにしても今のサーバが使えないとするとレンタルサーバの会社を替えるしかないかと考える。
あれこれ考えていると憂鬱になるだけなので、昼過ぎから気晴らしに業務に行く。
ラクサバから返信のメール(Gmailに届く)があったことに気づいたのは夜になってからだった。前述のように、サポートと連絡がつくのは平日だけと思っていただけに驚いた。そのメールによると、4日早朝から僕のメールアカウントから大量の迷惑メールが発信されているので接続を制限しているとのことだった。それでサーバパネルのログインパスワードとメールアカウントのパスワードを変更するように、とのことだった。
このメールを受け取った時点で自分のサイトを見てみると、復活していた。普通に表示された。ひとまず指示通りにサーバパネルとメールアカウントのパスワードを変更し、メールアカウントに接続してみた。新しいパスワードを入れるとちゃんと繋がった。すると、昨日からの一日だけで迷惑メールが3900件もある。これか、と思った。ラクサバからのメールによると海外から大量の不正アクセスがあるということだったので、一時的にメールアカウントを乗っ取られたようだ。そうしている間にもリアルタイムで10件、20件とみるみるうちに迷惑メールが届く。しかし、パスワードを変更してしばらくすると、ようやくそれは収まった。
そんなわけでこのブログもサイトも元通りに戻った。しかし、かつてブログにムーバブルタイプを使っていたころ、DoS攻撃を受けてブログが固まったことがあったが、サイト自体が停止されたのは初めてだ。よりによって僕ごときのアカウントを乗っ取ってスパムメールを発信したり、不正アクセスをしたりするヒマな人間とはどういう奴なのか。一人前のハッカーがそんなことをするとは思えない。大方どこかの国の中学生がハッカーの真似事をしているとか、そんなところだろうか。
こうして元に戻るとなんてことはなかったような気がしないでもないが、実際問題として昨夜からさっきまでの丸一日、僕はネット上での自分の居場所を失っていたのだった。それはなんとも微妙な時間だった。なんていうか、今の自分のアイデンティティはかくも危ういものなのか、という気がした。つまり、僕という存在の何分の一かはどこかのサーバのハードディスクに物理的に記録されているだけなのだ、という奇妙な感覚。ある意味、自分のサイトやブログを失うというのは、自分の過去を失うような気すらちょっとするのだった。それはある意味では正しく、もう一方の側面からみるとただの気分に過ぎない。つまり、僕自身という存在や僕の過去はネット上にだけあるのではないというごく当たり前のことなのだった。昨夜「事件」に気づいて何もかも失ったと思ったときに感じた妙な爽快感、あれはたぶんそういうごく当たり前なことにすら気づかないほどの呪縛から解放された気分だったのではないか。
などと、今回はいろいろと考えたわけです。
人間の思考回路として、過去を失うということは未来を失うことのような気がする、という錯覚。一方では過去から解放されるという奇妙な解放感。
このまま何事もなく元に戻るのかどうかは明日以降ラクサバのサポートに聞いてみないとわからないけれど、たぶん最悪でもメールアカウントを削除すれば済むだろう。どこかの国の誰かさんのほんのちょっとした悪意に丸一日振り回された。僕は自分の過去の大半を失ったような気がしたわけだけれど、もしかしたら僕はそういった過去への拘泥を真っ先に捨てるべきなのではないか、というようなことをぼんやりと思った一日だった。ある意味、一日だけ精神的に引っ越しした、つまり自分の居場所や立ち位置といったものを変えようと僕はしたのだった。