疲労、時は止まる

急に暖かくなった。日中は暑くてとてもダウンジャケットなんか着ていられない。例の腫瘍に関係あるのかどうか分からないが、最近の体力のなさは異常といってもいいぐらいだ。もちろん、冬の間の運動不足が主な要因だとは思うが。とにかく、業務に行っても2時ごろにはバテてしまう。ただ座っているだけなのに。そんなわけで2時ごろに切り上げ、帰宅途中で何故か疲労困憊し、手が痺れて気分が悪くなってきた。しょうがないので、遊歩道のベンチで一休みする。なんでこんなに疲れているのだろう、と考える頭自体も疲れている。おまけに既に抑うつ状態に突入、頓服をジンジャーエールで飲む。重い腰を上げて歩き始めるがもうふらふら。途中で遭難しそうになる。が、こんなところで遭難するようでは末代までの恥、っていうか、僕には子供がいないのでそうでもないか。なんとか辿り着くともちろんソファで死亡。1時間半ぐらいで一度目が覚めるが、起き上がろうとしたらぐらぐらっと眩暈のようなものが来て起き上がれず、無理、と思った。何故かは忘れたが母親に電話したものの、話しながらときおり意識が遠くなる。よって何を話したか忘れた。ともかく、その時点でも困憊の極みだったのでさらに昼寝続行。また1時間半ほど寝たので都合3時間ほど死んだことになる。カップヌードルのゴージャスな夕飯を食べてしばらくすると、ようやく疲労感が抜けた。どうもよく分からない。結局のところ、今日は1日の3分の1ぐらい、極度に疲れていた。この、3分の1ぐらい、ってのが腑に落ちない。中途半端である。果たして肉体的な疲労がそんな中途半端なものになるだろうか。とすると、ストレスによる精神由来のものなのか。よく分からないがとにかく今日は疲れた。疲労感が取れたところで散歩がてら24時間営業のスーパーまで買い物に行って戻ってくる。夜は相変わらず何をしたらいいのか分からず、時間を持て余す。ネットで見るスポーツニュースは何度見ても同じ記事。まあ、夜だから当たり前なのかも知れないが。仕方ないので、以前テーマだけ作った曲を、マルチ・トラック・レコーダーに録音しながら弾いてみる。と、気がつくと午前0時を回っている。要するに、なんだかんだ言っても時間は過ぎるのだ。とにかく。シャワーを浴びながら、時は止まるのだろうか、などと考えた。で、止まるという確信を得た。時は止まるのだ。相対的にも絶対的にも。しかし、時が止まると自分を含めたありとあらゆるものも止まるので、現実的には何の意味ももたらさず、何も起こらないので止まっても止まらなくても結果は同じだ。つまり、時が止まること自体に意味がない。しかし、もう少しマシなことを考えられないものか。

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