11月16日、水曜日。
今日の日記はたいして書くことがない。相場も見てるだけだったし。またしても朝起きたら10時半近かったということで、先週の土曜日からずっと10時前に起きたことがない、ってことぐらい。だから朝食後の珈琲を飲みながらツイッターのタイムラインをさかのぼって昨日の試合の記事を読み、またリアルタイムでTLを追っていると昼を過ぎてしまう。夕方精神科。夜は……何をしていたのかいまひとつ記憶がない。たぶん何もしていないんじゃないだろうか。10時半の指標から相場のチャートを見ていたけれど、結局見ていただけ。あとはSpotifyでちょこっと音楽を聴いたりYouTubeを見たり。
そんなわけだから、今日の日記なのに昨夜のことを書く。
代表戦の興奮が冷めやらぬうちにドラマ「逃げ恥」を見ていたんだが、ラストで星野源が新垣結衣にキスしたのに年甲斐もなく物凄く驚いてしまった。まあそれだけ彼らの役柄に感情移入して見ていたということなんだろうけど、その後はたと思ったのだが、もしかすると僕はこの先一生もうキスすることもないかもしれない、ということに気づいたのだった。先日阿川佐和子が63歳で結婚するという記事を読んで、俺もまだまだ可能性があるんじゃないか、もちろん結婚じゃなくていいんだけど、とか思ったのだけれど、考えれば考えるほど、この田舎の実家で一人暮らししている限りもうそういった可能性はゼロなんじゃないかと思えるのだった。それはつまり、もう僕はこの先キス、ただの形式ではないキスをすることはもうないだろうということだ。
考えてみると僕はキスを経験するのが遅かった。高校のときに生まれて初めて付き合ったアサギとはキスひとつしなかったし手も握らなかった。初めてキスをしたのは20歳のときで、居候先である黒姫のペンションの裏手で同じく居候をしていたレミとだった。そのときレミは煙草を吸っていて、初めてのキスは煙草の味がした。それは今でも鮮明に覚えている。
その後、20代の後半以降カンブリア紀の爆発みたいに阿呆のように女の子と関係しまくって、これまでのところ大雑把に言って60人ぐらい(プロを除く)だと思うが、そんなに少なくはないけれどかといってやたらと多いわけでもないと思う。すなわち僕はこれまでの人生に於いて少なくとも60人とキスを交わしているわけだけれど、ちょっとびっくりするのは鮮明に感覚を覚えているのは最初のキス、あの夏の日の煙草臭いキスだけなのだった。
まあそれが僕にとってどういう意味を持つのか、僕の人生に於けるキスとはどういう位置を占めるのか、それはちょっと判然としないし判然とする必要もないだろう。ただ僕はまだ童貞だった高校生のときにセックスよりもキスすることを夢見ていて、すなわち「キス=恋」みたいなイメージがあった。それが大人になった途端に出会ったその日にキスしたりということを平気でしてきたものだから、ケイと初めてキスしたときも、ジュンコと初めてキスした感触ももう覚えていないのだった。いつの間にか、「キス=恋」じゃなくなっていた。それは当たり前と言えば当たり前で、「キス=恋」みたいなものがある種少女漫画的妄想なのかもしれない。
それはともかく、つい数年前までキスなんてなんてことはなかったのだ。それはどうってことはない日常的なことだった。気がつくとそれが随分遠いところにあるような気がして、なんだかまた自分がキスに憧れていた高校生のような、縁遠いところにいるような気がしてしまうのだった。
果たしてこの先、僕はキスすることができるのだろうか? そして、できないとすればそれは何を意味するのだろうか?
とか考えそうになるのだが、たぶんそれは考えるようなことではないのだ。するときはあっさりするだろうし、しないからといってすべてを失うわけではない。ただね、もしこの先キスしないとすれば、僕は確実にひとつを失ったことになる、とは思うわけで。そこがちょっと寂しい。それは思ったよりも深刻でも切実でもない。そういうところにもちょっと寂しさがあるのだと思う。それでもドラマの中のひとつの切実なキスにはどきっとする。それだけでもいいんじゃないか、と無理やり思うことにする。