アルジャーノンに花束を

5月9日、火曜日。

朝目が覚めて時計を見ると9時55分、起きようと眼鏡をかけた途端に10時49分にワープしていた。

相場はどうも上手くいかない。今日は昨日の反省を踏まえていたはずなのだが、途中からどう見てもドル円の押し目買いの日だったのにもかかわらず、せっせとユーロドルをトレードしていた。それでドル円に乗り損ねてしまった。ユーロドル、最初は上手くいったのだがこれが結果的には落とし穴になってその後二度損切りさせられる羽目に。しかしこれは当初の想定自体が間違っていた(結果的に)のである意味しょうがない。夜中になって遅ればせながらドル円の小さい押し目を買ってみると、利食いした途端に10ピップス以上跳ねたりとどうにもリズムが悪いし運にも見放されている。

体重も何故か今日は100g増えた。まあ毎日300gとか400gずつ減るようだったらもう病気みたいなものだからこれが当たり前なのかもしれないが。ただダイエットをしているわけではなく筋トレもしている(ほんの少しだけれど)からしょうがない。現時点でほぼ標準体重ではある。

明日(というか日付が変わったので今日だが)は母の誕生日、日中スーパーに買い物に行ったときに母の日用の鉢植えのカーネーションを買って、明日にしようかどうしようか迷ったけれど今日持って行った。昨日から母は眠そうで口数が極端に少ない。テレビの前に鉢植えを置くと、浮腫んでいる左足をマッサージしながら母に「明日何歳になる?」と訊ねると「36歳?」という答えが返ってきた。母は別にふざけているわけではない。思わず「俺より年下なの?」と訊き返してしまったのも僕自身ふざけているわけでもないのだ。母は明日(というか今日)85歳になる。それを教えて、父の姉である叔母が今年91歳になることも教えると、しばらくしてもう一度何歳になるか訊ねてみると「91歳?」という答えが返ってくる。要するに母はさっぱり自分の歳が分からないのだ。それでも昭和7年5月10日という生年月日はちゃんと覚えている。母の手を引いてホールを歩かせると、以前は7周回れたのに2周目で息が上がり3周するのが精一杯だった。母は老いている。そして気がつくと他の大勢の入所者と同じように呆けてきている。僕は当たり前に悲しくなりながらもそれでもそれを受け止めなければならない。母に優しく接しなければならない。僕の悲しみは池の中に落ちた石のような重さがある。だがそれは決して大きな波を立てることはなく、静かに沈む石だ。母はこのまま子供のようになっていくのだろうか。明日は水曜日、店が休みじゃなければ小さいケーキでも買って持って行こうと思っている。

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