11月13日、月曜日。
9時17分起床。9時半までのホテルの朝食にぎりぎり間に合う。慣れないベッドのせいなのか、それとも気分的にどこか高揚しているのか、昨夜はなかなか寝付けず、寝たのはたぶん3時半過ぎ。で、微かに聞こえてくる朝の音で6時台から何度か目が覚めてしまう。寝不足でちと頭痛。 pic.twitter.com/xfWBotSO9P
— Sukeza (@anykindoflove) November 13, 2017
朝食後、部屋に戻ってノートPCを立ち上げ、昨夜の冷めたスタバの珈琲を飲みながら煙草を一服する。朝の駅の喧騒が窓越しに聞こえてくるのが新鮮だ。しかしながら、この時点でも本日の予定は同級生のジョンと彼の仕事帰りに会おうというなんとなくの予定がひとつあるだけで、夕方までの予定は何もない。どこに行くかも決めてない。まったくもって行きあたりばったりの旅だ。
一応習慣で相場のチャートを立ち上げて想定をして指値を置いておく。
とりあえず、かつて16年住んだ用賀に行こうと。それで、どうせならその用賀にある松任谷さんの学校に顔を出そうと思うのだが、その学校に今は勤めているユカリと連絡がいまだに取れない。業を煮やして、ネットで学校の電話番号を調べてかけてみる。するとなんていうことか、今日と明日が定休日であると。
それならそれでしょうがない。今のところのアイディアは用賀に行くことぐらいしかないので、とにかく用賀に向かう。埼京線で渋谷まで出て、そこから田園都市線に乗り換える。田園都市線へと繋がる渋谷の地下通路は以前よりも狭くなった感じで、英語や中国語での表記やアナウンスが流れてなんか微妙な違和感がある。ちょっとブレードランナーっぽい匂いがする。
渋谷から田園都市線でかつて16年住んでいた用賀へと向かうのは、いわば過去へと向かっているわけで、時間を逆行しているのに何故か近未来に向かっているという感覚だった。 pic.twitter.com/Zo2mLTOvrY
— Sukeza (@anykindoflove) November 13, 2017
この場合の近未来というのは、明日とか明後日とか来週といった、本当のそこにある目の前の近未来だ。そしてこの場合の過去というのは、15年前ぐらいの過去だ。つまり、過去の分量と未来の分量が均衡じゃない。奇妙なバランスになっている。
用賀の駅の出口は、昔となんら変わりなかった。ひとまず、先に16年間足繁く通った喫茶店、ピロエットを目指す。いまみちくんと初めて会ったのもあの店だった。階段を上って、左に歩いていく。途中に懐かしいところが。
かつて、このコンビニの2階のワンルームマンション(右端の部屋)に住んでいた編集者の女の子と付き合っていたことがある。もう随分前の話なのだが、あのときのまんまだ。
そのまま左手に進んでいく。やがてピロエットが見えるはずだった。しかし……
ピロエットは跡形もなく、そこは駐車場になっていた。これでもう、僕はあの漆喰の壁とどこか懐かしい感じの木の床の日当たりのいい席で、夜の湖面のように黒いフレンチブレンドの珈琲を飲むことも出来なくなったわけだ。こんな風に、過去というのはどこかでプチンと途切れる。
しょうがないので道を引き返し、16年住んだ瀬田のアパートを目指そうと駅前の道を渡った。すると昔通った典型的な駅前の場末のパチンコ屋だったところは、ドトールになっていた。そこで立ち寄ってカフェ・ラ・テを飲んだ。
このそれなりに洗練された店内が、かつてはうらぶれた閑古鳥の鳴くパチンコ屋(実際それで閉店した)だったというのは実に奇妙な感覚だった。時間軸をずらしただけでこんなにも違う空間になるのかと。
ドトールを出ると、アパートに向かう。途中の角で一瞬迷って、道を間違えて首都高下を歩いたが、どうせ246を渡るので同じことだ。高架下の角の、世界一不味い(と思われる)蕎麦屋は不思議なことに潰れずにそのままあった。
歩道橋の上から見る246は、昔となんら変わりはなかった。ただ、僕が引っ越してきた当初はドライブスルーのマクドナルドで、その後クラリオンの本社ビルになっていたところは高級マンションになっていた。
歩道橋を渡ったところにある小さな川。春には両側が桜で満開になる。公団住宅の中を抜けたところが住宅街の道だ。アパートのちょうど手前の角にあったひときわ目立つ壮大な豪邸(ヤクザの幹部宅)だったところが更地になって売りに出ていた。
これはつまり、過去が売りに出ているということだ。過去・オン・セール。ご希望の方はどうぞ。
僕がかつて16年住んだアパートは寸分違わぬ姿でそこにいつもと同じようにあった。A-102。僕が業界の現場をはいずり回りながら、人生最大のモテ期を過ごした場所。だがここが以前と同じようにまだあることは知っていた。グーグルのストリートビューで見たから。今は誰が住んでいるのか気になるところだが、ここでドアチャイムを鳴らして訪ねる気はない。もしそんなことが出来るのであれば、それで小説が一本書けるだろう。
そのアパートの隣にある、小さな公園のベンチで一休み。どちらかというとこのベンチには昼よりも夜座って何かと物思いにふけったものだ。
その公園の向かいには、僕が自分の小説「幽霊譚」の舞台にしたマンションがある。このマンションは香川照之主演の映画「静かなるドン」でヒロインの喜多嶋舞の住んでいるマンションとしてロケをやってた。
この辺も、その隣の天理教の建物も僕が住んでいた当時と変わらないのだが、ついでに毎月家賃を持って行った大家さんのうちを見て来ようとワンブロックほど歩いたのだが、どこだか分からなかった。古い農家だったし、大家のお母さんは年齢からしてもう亡くなっているかもしれない。たぶんこの辺りにずらりと並ぶ新築の豪邸のうちのひとつへと変わったのだろう。
諦めて駅へと戻るが、かつては毎日通った道なのにやけに遠く感じる。今の体力からして、とっくにカラータイマーが点滅していて、もうへとへとだった。帰り道、また途中の道を間違えてしまう。だが間違える道ももちろん見覚えがあるので迷うことはない。駅前のもう一軒の小さなパチンコ屋は松屋かなんかになってた。その向かいの大手チェーンのHだけが店舗も新しくしてパチンコ屋として生き残っていた。どちらの店も東大出身ということでカリスマ的に有名だったパチプロの故田山さんが通っていた店である。つまり、彼の雑誌連載「パチプロ日記」の舞台になっていた。僕は田山さんと一緒に打った(というか客が僕と田山さんしかいないとか)ことは何度もあるけれど、結局一度も言葉を交わすことはなかった。田山さんの葬儀は前述のアパートのすぐそばで行われた。
ちょっとがっかりしたのは、大分とんこつラーメンの「柳屋」が別のラーメン屋になっていたこと。柳屋のラーメンが食べたかったのに。
ともあれ、歩き詰めで疲労困憊して息も絶え絶えの状態になりながら、とにかく渋谷に戻って昼飯を食おうと田園都市線で渋谷へ戻る。つまり近未来でもある過去から戻るというわけだ。
渋谷に着いて、例のちょっと謎な感じになった地下通路から、道玄坂に出る。道玄坂の途中の二階に隠れ家的な喫茶店があったのでそこでサンドイッチでも食べようと思ったのだ。もう完全に足に来ていてよたよたと道玄坂を上る。何人か分からないガイジンがやたらと多く、擦れ違う人も何語を喋っているのかよく分からない。路地の角に私的な両替商が立っている。ロンドンにはいたが昔はこんなのはいなかった。かつて根城にしていたパチンコ屋のあったビルはユニクロになっていた。結局、まるで八甲田山にでも登っているような足取りで坂の途中まで来たが、例の隠れ家的な喫茶店は跡形もなかった。しょうがないからラーメンでも食べるかと思うものの、道玄坂に散見するラーメン屋はどこも混んでいて入る勇気がない。信号を渡って百軒店をちらりと横目に東急本店通りに出る。途中にあったタコベルに興味をそそられたがやはり入る勇気がなかった。結局僕が入ったのは、東急本店向かいのフレッシュネスバーガーだった。ただ単に二階に喫煙席があるという理由で。
そんなわけで、結果的にやけに貧しい昼食になってしまった。とにかく無茶苦茶疲れている。感覚的には今年一年分歩いた気分。よたよたと東急本店通りを駅に向かって降りる。
こういう信号待ちをしている間に見える渋谷は、ディテイルこそなんかがなんかに入れ替わっているものの、風景自体は昔とさほど変わらない。一見、ただ細部がオルタナティブになっただけのようにも見える。しかし実際は前述のように何語か分からない言葉ばかり聞こえてくるし、何人か分からないガイジンばかりである。そういう意味では見かけこそ昔と変わらないように見えるが、内包する成分のようなものがブレードランナー的なものに入れ替わっている。つまりはそれこそが近未来、限りなく今に近い近未来なのである。そういう意味では、今日、僕は田園都市線で過去から近未来へと戻ってきたのだ。
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体力が完全に尽き果てたので、一旦赤羽のダークサイドにあるホテルに戻る。駅前のスタバで今日も珈琲を買って。煙草を一服しながら相場のチャートを見ると、指値はまだ成立していなかった。あまりにも疲れ果てていてどこかに繰り出す気にはなれなかったので、ちまちまと相場のトレードをする。それで、曲りなりにもちょっとだけではあるが今日も仕事をした気になる。
そうしているうちにジョンからメールで仕事が終わったという連絡が入り、武蔵浦和のドトールで待ち合わせすることにした。埼京線でかつて住んでいた武蔵浦和に向かう。帰宅時の埼京線はめっちゃ混んでいて、僕の大半の意識はとにかく痴漢と間違われないようにしようとする方向だけに使われた。
武蔵浦和の駅に着くと、なんか構内が変わっている。で、驚いたことに改札を出たところにあるはずのドトールがない。それどころが昔僕がぶっ倒れた通路すらない。駅の外を見ると、食べようと思っていたラーメン屋もない。これにはちょっと混乱した。ジョンに電話を入れて、改札前で待つ。
しばらく待つと改札から髪をやけに短くしたジョンが現れ、イタリアンでも食おうかと駅ビルを出ると、昼はいい天気だったのにぽつぽつと雨粒が落ちてきた。で、かつて元妻とよく食事をしたイタリアンレストランを目指しているのだが、先ほどの習いでこれもまた消滅していたらどうしようと思ったが、信号を渡って右に曲がると当たり前のように店はあった。変わっていたのは店内が禁煙になっていただけだった。
ジョンとメシを食う。この前後は疲労困憊していたせいもあって写真を撮るのを忘れている。疲れているからかえってテンションが上がって、まるで昨日のヨウタロウのように僕は喋る。なんていうか、喋らないと申し訳ないような、まるで沈黙が怖いような気分。食べ終わるまで我慢していたが、どれぐらいかな、たぶん1時間半ぐらい食べながら喋って、とうとう我慢できずに店の外に出て煙草を一服した。店の脇の道路は、よくよく考えると震災のときの計画停電のときに離婚した元妻が停電が怖いというので駅の反対側から20分ぐらい歩いた道だった。
席へ戻ると、店員を呼んでチェックアウトを頼んだが、どういうわけかこの店の店員は全員日本人だった。新宿と渋谷の店員は全員が日本人じゃなかったので、かえって奇妙な感じに思えた。つまりこれは、知らぬ間に自分の脳内もブレードランナー化されていたということか。
駅でジョンと別れる。武蔵浦和の駅の階段はとんでもなくきつくて、途中で遭難するかと思った。昔はこれを毎日上っていたのだ。信じ難い。いや、信じ難いのは今の自分の体力の方か。
帰りの、つまり上りの埼京線は空いていた。窓外は真っ暗な中に巨大マンションの明かりが流れる。やがて、ようやく魔都赤羽へと帰り着く。
で、ドラマ「陸王」を見てまた涙ぐむ。一体俺は何をやっているのだろう? これが旅というものなのだろうか? ノマドと称して一年のほとんどを海外を旅してホテル暮らししているドラムのミヤザワにとって旅とは一体なんなのだろう? ミヤザワの場合はもはやそれは旅ではなく、ただの生活なのではないか。あちこちを泊まり歩くことがなんでそんなに面白いのだろうか。昨日今日と、ろくに予定も計画もないままに、気がつくとあっという間に一日が終わってずぶずぶの深夜になる。ダークサイドの夜は果てしなく更ける。ときおり思い出したように電車の音が聞こえる。
一向に電話が繋がらなかったユカリからSMSで返事が来る。しかし電話をかけると繋がらない。しょうがないのでこっちもSMSで返事をする。なんか非常に原始的なコミュニケーションをしている気になる。ともあれ、明日はホテルをチェックアウト後、新宿でユカリと待ち合わせることになった。もちろん東口の交番の前である。
さて、と。一体どれぐらいの長文になったのだろうか。つまりそれが旅というものなのか。ここまでのところ、いまだに人は何故旅をするのかという疑問の答えは分からない。ただひとつ、旅の秘訣のようなものは分かった。それはつまり、
金に糸目をつけるな
ということである。