11月14日、火曜日。
何しろチェックアウトが10時なものだから、9時15分にアラームで起床。昨夜は散々歩き回って疲労困憊していたせいか、寝付きは悪くなかった。今朝は筋肉痛が来るだろうと思っていたが、思ったほどではなかった。チェックアウトと言っても前払いで済ませてあるのでルームキーをフロントに返すだけ。喫煙席があることを確認して、朝食は駅の高架下のプロントで済ませる。
朝からホットドッグというのは、何気に自分的には贅沢な朝食のレベル。11時に新宿でユカリと待ち合わせている。待ち合わせ場所は一昨日ヨウタロウと待ち合わせた新宿東口交番の前。要するに、現時点で新宿で待ち合わせというとそれしか思いつかなかった。
駅の上り階段がきつくて電車をひとつ乗り遅れ、5分遅れで交番前に行くと、一昨日の喧騒が嘘のように平日の午前中の新宿は人が少ない。ユカリはすぐに見つかった。ユカリと会うのは熊谷(幸子)の結婚式以来だから20年振りくらいか。ユカリは雲母社時代の同僚で、僕よりも4つ年下だが会社に入ったのは彼女の方が先、当時は松任谷さんのマネージャーをやっていたのだが、僕が会社を辞めると僕の後釜で原盤ディレクターを引き継いでいた。今は雲母社っつーか松任谷さんの学校に出向中。
昨夜のうちにネットで探しておいた、アルタの隣のカフェ・ラ・ミルに入る。用意周到というか、昨夜店に電話して煙草が吸えることを確認済み(笑)。というわけで喫煙席で珈琲を飲みながら喋り倒す。二人とも癌を患って寛解した身なのでまずは病気の話から始まって親の介護の話、で、結局は松任谷さん周りの仕事の話になる。昨日も一昨日もそうだったが、田舎に帰ってからの5年弱というもの、話す相手は母ぐらいでほぼ隠遁生活とでもいうべき、誰とも話さない生活を続けているので、人と話そうとすると必要以上にアドレナリンが出て自分でもびっくりするくらい喋る。まるで世の中から隔離された蟄居のような毎日を送っているのに、一体どこから出てくるのかというぐらい自分の話の情報量が多いのに、話していて自分で驚く。普段は忘れているような昔の業界仲間の名前も不思議なくらいポンポンと出てくる。二人とも由実さんの原盤ディレクターという同じ仕事をした間柄なので話が止まらない。気がつくとそろそろ新幹線の時間がヤバいかなという頃合になり、ユカリがスマホで調べてくれて、1時39分発の湘南新宿ラインで行けば大宮に2時10分に着くということが判明、その時間に合わせて会計を済ませ(驚いたことに新宿なのに店員が日本人だった)、横断歩道を走って渡って駅で別れる。そんなわけで1時39分発の湘南新宿ラインには余裕で間に合い、大宮の新幹線乗り場のホームに奇跡的にあった喫煙所で煙草を一服する余裕があった。
火曜の夕方着という中途半端な時間のせいか、帰りの新幹線は空いていた。隣の席はずっと空席のままだった。これは楽だ。今日は窓外の景色を眺める余裕があった。というか、本来であれば2時間半という時間を耐えるために、疲れていることもあって一眠りしたいところなのだが、ユカリと怒涛のように話した余韻が残っていて頭の中を会話の続きが猛スピードで再生されていく。要するに一種の興奮状態にあったのだろう。考えてみればこの2泊3日の旅、初日の夜にヨウタロウと話し込んだ辺りからずっと興奮状態にあったのだ。人は何故旅をするのか? とか、旅って一体何をすればいいのか? とかというプリミティブな疑問を抱えたまま急転直下で突入した旅だったが、こうして振り返ってみると、この3日間が永遠に続けば結構幸せなのかもしれないと思ったりもした。旅というのはそういう側面があるのかなと。要するに普段の日常とは違うスイッチが入るみたいな。そんな具合に、ここのところ抱えていた疑問の答えみたいなものがぼんやりと頭の中に浮かんだ。要するに、今回の旅は結構楽しかったのだ。
途中から読み始めたアーヴィングの「神秘大通り」は、ちょうど主人公がファンの若い女の子とセックスをしている描写が延々と続くところで、旅の妙な興奮状態の続きにいて、肉体的にはジャングルを三日間さまよったぐらいに疲れ果てていたので、少々読むのがしんどかった。ふと気がつくと、ユカリと話すのに夢中になってしまって昼食を摂るのを忘れていた。このまま昼食抜きで到着してから早めの夕飯を食べようかどうしようか迷う。結局、3回目に車内販売の女の子が通りかかったところで1200円也の駅弁を買って、4時ごろという妙な時間に食べてしまった。ちなみに駅弁というものを食べること自体がたぶん10年振りぐらいだと思う。
新幹線は天童で信号待ちかなんかで2分遅れた。次がさくらんぼ東根の駅であるという電光掲示板の表示をぼんやりと眺めていて、英語で「The next stop is SAKURANBOHIGASHINE」という表示が流れるのを見て、ガイジンはこれを見てなんて発音するのか絶対に分からないだろうなと思う。
そのSAKURANBOHIGASHINEの駅に到着してホームに降り立つ。やっぱり東京と比べると山形は寒かった。考えてみれば当たり前だ。駅の駐車場に停めてある車に乗ってエンジンをかけ、窓を開けて煙草を一本吸う。既に外は真っ暗である。夜の帳の中を車を走らせて、我が家に辿り着く。
すると、実に奇妙なことに、家に帰りついた、戻ったというのに妙な違和感を覚えた。それは渋谷の地下通路で覚えた近未来的な違和感とちょうど真逆なベクトルの、しかし同じぐらいの分量の違和感だった。それはつまり、まだ旅の高揚感から抜けていなかったということなのかなと。
家の鍵を開け、ホテルの部屋の3倍ぐらいの広さの台所で珈琲を淹れて煙草を一服する。寒いのでもちろん暖房をつける。このころには先ほど覚えた違和感は大分薄らいでいるが、こっちの方が現実なのだという認識がまだ100%ではない。つまり自分ちに戻ったのにまだ慣れてない。6時半近くなり、母のところに向かう。これが僕の日常なのだ。
母のところでニュースを見ていると、天気予報で秋田では明後日と日曜日が雪という予報を見て仰天する。ってことは、ここ山形でも雪が降る可能性があるってことか。そんなに早いとは思っても見なかった。これは予定を繰り上げて明日にでもディーラーに電話してタイヤ交換を予約しておかなければと思う。
ことここに至って、新宿渋谷のブレードランナー的世界、久しぶりに会った友人たちと話して全開になった自分の記憶、そういういわば旅による非日常感、時間感覚から、もしかしたら明後日にも雪が積もるかもしれないという山形の実家的現実に強制着陸した。つまりそれは、旅の終わりだった。
母のところの帰りにスーパーに寄って、遅い夕飯用に稲荷寿司、明日からの夕食用の食材などを買って帰り、台所のノートPCでイタリアが60年振りにW杯出場を逃したスウェーデンとのプレーオフセカンドレグを見逃し配信で見た。で、朝は思ったより筋肉痛がないなと思ったのに、夜になってふくらはぎにギンギンに来た。
風呂に入る前に体重を計ると、三日間東京を歩き回って駅の階段を昇り降りして体重が800g減っていた。で、気がつくと便秘も治りかけてるっぽい。ああそういうことなのかと。要するに運動不足だったのかと。もしかしたら便秘が治ったことに関しては、連日珈琲をがぶ飲みして友達と喋りまくったという、心因的な要素もあるのかもしれない。
身体的にはとにかく半端なく疲れているのだが、恐らくまだ100%日常に戻ってはいないせいでなんとかまだもっている。たぶん明日の朝起きると身体中にどっと来るのかもしれない。明日は起きたら録画予約している代表のベルギー戦を情報を遮断して見なければ。
というわけで、なんだか怒涛のような2泊3日の旅は終わった。なんかあっという間に終わった。で、繰り返しになるが、驚いたことに本当に楽しかったのである。
実はまだ書き足りないことはあるのだが、長くなるのでそれは明日に回そう。そんなわけで人生はまだ続く。