埋没

12月19日、火曜日。

そんなわけで先週の土曜日に続いてトイレに起きてしまうという困った事態。起きて台所に行くと外は大粒のボタ雪が落ちていて、そもそも今日は雪かきをせねばならないだろうなと思っていたし困ったものだなと。で、朝食後に煙草を二服したあとにようやっと重い腰を上げて着替えて雪かきをしようと玄関を開けると、どうやらみぞれのようで既にほとんど融けており雪かきする必要はなかった。

例によって相場の想定をして指値を置いて、さわり程度にドル円を売ってみたものの、クリスマスを控えた今週はとにかく動かない。なので微益で利食いして後はひたすら動くのを待つことにする。とはいうものの、僕は何が苦手といって待つことぐらい苦手なものはない。冒頭に書いたように昨夜寝るのが遅かったとはいうものの7時間は寝ているわけだが、そのうち眠くなってきてしまった。それで最近はすっかり昼寝に対する抵抗感というものがなく、以前だったら昼寝なんかするのはダメな人間なんじゃないかとかいう罪悪感があったのだが、今はむしろちょっと眠くなったら積極的に昼寝をしようと思うようになってしまった。それで夢でも見れればオーケーと。で、3時前からベッドに潜り込んで昼寝を始めたのだが、3時半ごろに普段滅多に鳴らない固定電話が鳴って起こされた。不承不承出てみるといわゆるアンケートの類、今手が離せないのでといって切ってまたベッドに潜り込んでしまった。それで結局5時近くまで寝てしまい都合2時間ほど昼寝。つまり7時間足す2時間で合計9時間も寝てしまったのである。

ともかく、昼寝から目が覚めると日が傾いて部屋の中はもう暗く、電気を点けた。それから6時過ぎまでちまちまと相場のトレード。6時半ごろにいつものように母のところに向かうころには雪が舞っていて、どうやら路面は凍結しているようだった。母のところからの帰りは結構な雪が降っていた。しかし今日の天気予報によると明日から今週一杯はそれほど雪は降らないという予報だったし、明日までの積雪も1cm以下ということだった。

帰宅後スパゲッティを茹でて夕食。その後また相場のトレードをちまちまと。ところが驚いたことに、書斎に移動してトレードをしていた10時ごろになるとやおら眠気が襲ってきたのである。足し算で都合9時間も寝ているのに。まるで澱のように重たい眠気が。昼寝に対して抵抗がなくなったように、眠気がやってくると無抵抗に屈したくなる。しかし、いくらなんでもそこまで寝てばかりでは人間として失格であるだろうし、第一にそんな時間に寝てしまったら明日の朝とんでもなく早い時間に起きてしまって生活のリズムが滅茶苦茶になるだろう。なので、睡魔の泥沼に埋没しそうになったところをなんとか風呂に入る。風呂に入ってすっきりして眠気がおさまったと言いたいところだが、いまだに頭の中に濃霧でもかかったように眠気がぼんやりと、しかししっかりとある。カフェインの入ったペプシストロングゼロを飲んでいるのに。なんでこんなに眠いのだろうか?

それは恐らく、くどいようだが寝るということに自分が肯定的になっているせいだと思われる。睡眠に対して半ば憧憬のようなものがある。それで夢を見られればそれでいいみたいな。果たして人間はそんなことでいいのだろうか?

考えてみると、一日たりとて夢を見ない日はない。何かしら、必ず夢を見ている。よく、夢も見ずに泥のように眠ったという表現があるが、そういうことはない。しかし、毎日必ず夢を見ているのに、淫夢というものをほとんど見ないのはどうしてなんだろう? そこに関してはちょっとだけ損している気がしないでもない。だが、よく見る道に迷う夢でもいい。ただ僕は夢を見たいのである。こんなことを言うとまるで子供のようだが、僕にとって眠りとは夢への入り口なのだった。

ああもう、頭の中がおがくずとかかつお節とか、そういうもので一杯になっている。願わくばよい夢を。

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