7月21日、土曜日。
もうホントに毎日ワンパターンながら、暑くてへばってるとしか書きようがない。本当に信じられないほどへばっている。今朝は競馬の夢を見て11時39分にほぼ全裸で起床。8時間半ぐらい寝ているから休養は十二分に取れているはずなのだが、とにかく起きたときから疲れ切っていてだるくてどうにもならず。朝食後、先日再インストールしたDAWソフトでドラムの打ち込みを始めたものの、とにかく使い方が分からなくて四苦八苦。たかがコピーペーストするのにもヘルプを見に行くようでは。あまりのスローペースにさすがに痺れを切らして、一週間ぶりに業務に涼みに行くことにした。
確かに涼しかった。身体が冷え切るほど。実際、周りのおっさんとか見ても、この状況下でTシャツに短パンなどという格好でどうして一時間以上も平気でいられるのか、不思議でしょうがない。自分だったら凍死している。業務の中身の方は前回不ヅキで貯め込んだ期待値が返ってきたという感じ。5時過ぎに帰宅。
昨日から書斎以外で唯一冷房のある茶の間で、今回のW杯をコロンビア戦から順に見直している。今日はセネガル戦まで見た。で、試合を見終わった後に茶の間に飾ってある写真はすべて両親かあるいは弟の家族の写真であるということに気づいた。全員で一緒に写っている写真にも僕だけがいない。そういえば書斎に飾ってある写真もそうで、父か母か弟の家族しか写っていない。こうしてみると、僕がここに存在していることを示すものは何もないのだ、というような気がした。確かに以前の家族旅行のアルバムとかを開けば僕は写っているけれども、それ以降、30歳を過ぎてからの僕の写真は、僕自身の持つアルバム以外には一切ない。なんだか自分が幽霊のように思えてきた。僕という人間はこの家にとって、父が大事にしてきたステレオセットを捨てただけの人間に過ぎないのではないか、などと思う。いずれ僕が死ねば、座敷に僕の遺影が追加されるのだろう。だがそれまでは、僕という人間はここにいてもいなくてもさして変わらない存在のような気がする。大体に於いて、30歳から今までに至るまでの僕の写真は数えるほどしかなくて(アメリカでレコーディング中に撮られた写真ぐらい)、後はすべてPCかスマホの中にしかない。ああそういえばこのサイトのサーバーには自分の写真が残っているけれども、それとて僕が生きている間だけだろう。弟かあるいは甥っ子が僕の写真のデータを発見できなければ、僕という人間は存在していなかったのとさして変わらなくなる。
もちろん写真だけが存在証明じゃないことなんて重々承知している。ちょっと言ってみたくなっただけ。屁理屈を。
と、ここまで書いて読み直してふと気づいたのだが、昔付き合っていたジュンコが撮った写真がどこかにあるはずなのだが……。それとて32・3歳のときのだけれど。と思って小物入れの戸棚をあれこれ探してみたら、なんと抗がん剤治療を終えた後の就職活動のときに撮った証明写真が出てきた。これはもう50歳を過ぎてるが、うむむ、抗がん剤で一度髪が抜けてまだ生え切っていないときの写真、葬りたい。