8月1日、水曜日。
美しい夕方だった。日中の炎暑が嘘のような風が吹いて来た。盆踊りの準備が整ったころ、僕は母を置いて祭りの場所を後にした。
毎年行われる母のいる特養の盆踊り・花火大会、毎回最後まで付き合っていたんだけれど、今年は19時キックオフの鹿島対FC東京の試合が見たくて、事前から6時半には帰らなくてはならないと伝えていたので、予定通りの行動だった。しかしそれから1時間半後、1-1のスコアで迎えたハーフタイムに、僕はまだ日中の暑さが残る台所のテーブルに腰を落として、完膚無きまでに挫けて心が折れそうになった。これは本当にやばいと思うくらいに。母よりもサッカーの方を優先したという罪悪感に圧し潰されそうになっていた。そして、それは試合開始前からなんとなく嫌な予感としてあった。いつも思うのだけれど、どうして嫌な予感というのはいい予感よりも圧倒的に多いのだろうか? たぶんそれは自己防衛本能として先天的に身についているものだろうし、だからこそ当たり前なのかもしれないけど、嫌な予感ほど当たるものなのだ。そして後半、案の定鹿島はFC東京に逆転されて1-2で負けてしまった。逆転された瞬間に、ああこれだったのかと思った。試合を見る前から、そして試合を見始めてからも、これで負け試合だったら最悪だなと考えていた。花火大会が終わるまでいてもたぶん試合の後半ぐらいは見れただろうに、僕は試合開始から見ることを選んでしまった。母と美しい夕暮れを見るよりも。慚愧というのはこういう気持ちなんだろうなと思った。とにかく、凄まじい勢いで僕の心は落ち込んでいた。人知れぬ沼に投じられた石のように。毎日毎日、それこそ一日も欠かさず母のところに行っているというのに、今日だって盆踊りが始まる直前までは一緒にいたのに、どうしてこんなに気持ちが沈んでしまうのだろう。どうしてこんなに罪悪感を、自責の念を覚えるのだろう。
どん底まで落ち込んだ気分を取り戻すには、かなりの時間を要した。沈むときはあっという間なのに、元に戻すためにはちょっとずつ、ちょっとずつ、気がつかないくらいのクレッシェンドで戻さなければならない。これがもし、鹿島が勝っていたらどうなっていただろうか。しかし、前述のようにハーフタイムにはもう巨大な漬物石にのしかかられた虫のようにほとんど潰れそうだったんだ。
どこかにやましい気持ちがあったせいか、今日は浴衣姿の母の写真を何枚も撮った。たぶん母は僕が盆踊りが始まる前に帰ったことをまったく気にしていないだろう。ただ僕だけが自分を責めるのである。ただでさえ僕は祭りの類が苦手だし嫌いだ。だが、それだからこそやましいのだと思う。ひと夏の美しい思い出が、ただの負け試合の記憶になったことが。
それにしても今日は暑かった。昼過ぎ、町報を配るために外に出たら、あまりの暑さにくらくらするほどだった。外の気温計は36度だったが、体感的には確実に体温よりも暑かった。だから、夕方特養の駐車場で風が吹いてきたとき、まるで奇跡のように涼しくなったように思えた。いずれにせよ、僕はもう少し能天気になる必要がある。それも切実に。だがそれはとてもとても難しい。
たぶん、まったくもってたぶんなんだけど、自分を許せない人間が他人を許せるわけがない、などと思う。生きることは難しいです。