失意

11月18日、日曜日。

歳を取っても変わらないものってなんだろう? 記憶力、判断力、読解力、果ては容姿から体力まであらゆるものが衰える。感覚的に(あくまでも感覚的にだが)変わらないように思えるのは意識の根幹の部分、自意識とか自我というものか。つまりは思考する自分というものは一見一向に変わらないように思える。その外側の部分が衰えているだけで。若いころは漠然と、歳を取ったらなんらかの部分が成熟するのではないかと思っていた。上手く言えないが、例えば思考回路とか、もっと大袈裟なことを言えば人格とか、とにかくなんらかの部分は成熟するんじゃないかと。ところが一向に何かが成熟した感はない。なんだか物凄く頭が悪くなったような気がしないでもないが、それは自分の中で相対的に頭が悪くなったのではなくて、若いころは自分の頭が悪いことに気づかなかった、自分が実際以上に頭がいいと勘違いしていた、ということにようやく気づいただけのような気がする。もしかしたらそういうことを成熟と呼ぶのだろうか。だとしたら、成熟というのはある種の諦念に似ている。

昨夜あれから、あることをふと思い出して調べて、激しく失意を覚えた。物凄くがっかりした。恥ずかしいので具体的に言及はしないけれど、とにかくちょっと最近にないくらいに落ち込んだ。果たしてここから立ち直れるのだろうかというぐらいに。

今日起きたのが昼過ぎの12時42分というとんでもない時間になったのは、その辺が作用したせいだろう。だがともあれ睡眠という意識を失う時間を挟んで、昨夜の激しい失意はなんとなくその輪郭がぼやけた感じはした。たぶん昔だったら一日やそこらではとても立ち直れなくて延々と引き摺っていただろう。何しろ学生時代の失恋を20年ぐらい引き摺っていた僕のことだから。もちろん、20年同じテンションで引き摺っていたわけではなくて、どこかのタイミングで急にディクレシェンドして、徐々にフェイドアウトしていったという感じだけれど。いずれにせよ、なんていうか起きてみると失意というものが幾分かぼんやりしたものになっていた。

今日の予定は4時にタイヤ交換の予定があるだけ。とはいうものの、起きた時間が時間だけに、朝食(と言っていいのかすら疑問だが)後の珈琲を飲みながら一服しているともう1時半とかそんな時間になっている。忘れないうちにと車にスタッドレスを積む。それと待っている間に読む本と読書用の眼鏡を鞄に入れる。というようなことをしていると2時を回り、帰宅後微妙な時間になりそうだからというので夕飯用の米を研いで仕掛けたり。そんなこんなで2時半ごろになったが、中途半端に時間が空いているのでしょうがないので少しばかり業務で時間を潰すことにする。すると、4時20分前近くになって当たってしまい、これが時短中に引き戻してSTに突入してしまう。これは消化しきれないと思い、ディーラーに電話を入れて時間を5時に変更してもらう。結局3連で終わったものの、5時に変更してしまったのでそれなりに時間を潰さなければならないのでそのまま打っていると今度は確変で当たった。これが続いたらどうしようと思ったら2連で終わり、ちょうどよい時間に。それにしてもしかし、先日から4ラウンドばかり引く。以前と比べると異常な頻度で。これは一体どうしたことなのか。つまり、ツイているのかいないのか、どちらかというとツイているのだろうが物凄く中途半端。

5時ちょうど(もう外は真っ暗だ)にディーラーに着いてタイヤ交換を済ませ、帰りがけに隣町に来たついでに業務スーパーで買い物をしていくことにする。で、駐車場に車を停めてふと、スーパーに隣接するユニクロの親戚みたいな店で冬用のカーゴパンツを見て行こうと。するとちょうどいいものがあり、2本買うと1000円引きになるというので2本買った。まったく予定外の買い物である意味散財なんだけれど、気分的にはここが今日のクライマックスっぽい。つまり、なんとなくラッキーな気がした。業務スーパーで予定のジャムやらドレッシングやらを買い込んで帰る道すがら、どうも今日は先ほどの業務からの流れで行くとなんとなくいい日になっているような気がする。これは奇妙だ。今日は昨夜からの続きでいうとデフォルトで物凄く落胆している日のはずだったのに。

そんなわけで今日という日が一体どういう日なのかよく分からなくなってしまった。実際問題として、日付を境に今日という一日を考えると、昨夜の段階でどん底になっていたのだけれど、寝て目が覚めてから今日という風に考えるとそれほど悪い日ではないのである。大体に於いて、この日記は大概の場合日付が変わってから書いている。つまり、日付的にはこの日記に於ける今日というのは昨日なのだ。なんかややこしい。そもそも、今日というのはどこからどこまでを言うのか。朝起きてから夜寝るまでを今日とするのか、それともあくまでも日付が変わったら昨日になるのか。今日の定義とは?

気分的には今日は夜寝るまで続いている。つまり、一度寝て起きてから改めて今日という日が始まるという感じ。だからこの日記は常に今日の日記なのだ。昨夜の失意はもうどこか宙ぶらりんなところで曖昧になりかけている。もしかしたら、自分は歳を取って若いころよりも現実的になっているのだろうか。もしかしたらそれが成熟なのだろうか。リアリストになることが?

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