廃人化

12月3日、月曜日。

夜になって原因は定かではないが極度の抑うつ状態に陥り、ほぼ廃人に。苦しかった。武田鉄矢演じる緒方洪庵に「危篤です」と言われてもおかしくないくらいに酷い状態だった。茶の間のコタツで身動きが出来なくなった。かといって身体のあちこちが痺れて辛くて寝ることも出来ない。あまりにも酷いのでなんとか起き上がって書斎に行って安定剤のレキソタンを2錠飲んだ。しかし即効性はなかった。このままでは何も出来なくなるという危機感が凄くて、ゾンビのような足取りで台所に行き、こういうときは身体を動かした方がいいという経験則で洗い物をして、それから珈琲の生豆を煎り始めた。鍋を火にかけているとしんどいからといって放っておくわけにはいかない。6分ごとに鍋をしゃかしゃかと振る。なんだか生きていること自体が拷問のように感じる。亡き父に助けてと心の中で言ってみる。しかし1年半ばかりの結婚生活で僕が学んだのは、「助けて」という言葉が禁句であるということだった。

珈琲の豆が煎り上がるころになって、ようやく人心地ついてきた。生きているのが幾分かましになった。

それにしても昨日もそうだったが一体どうして抑うつ状態になるのか。何がトリガーになっているのかと考えると、思い当たるのはちょっとした後悔である。例えば今日であれば夕方ユーロドルを売るタイミングがあったのに売らなかった、などというほとんどどうでもいいことだ。昨日で言えばツイッターで昔のことを呟いてしまったこと。それぐらいしか思い当たる節がない。考えてみれば人生は無数の後悔でできている。どうでもいいような些細なことがトリガーになるのであれば、毎日抑うつ状態になってもなんらおかしくはない。

用賀のころにかかっていた歯医者が使っていた、光を当てると固まるという物質を思い出す。詰まるところ、ちょっとした光で固まる物質(今ググったら百均でも売ってるらしい)のように、ちょっとした後悔で身動きが取れないくらい具合が悪くなるとするとほぼ何も出来ないことになる。何故なら、何をやっても後悔するという性質は母からの遺伝だから。かといって後悔しないように何もしないとすると、抑うつ状態で何も出来ないのと大差ないことになってしまう。というかいずれ、何もしないということを後悔してしまうのだ。

結局のところ、頓服として飲んだレキソタン2mgが遅まきながら効いてきたのかどうかは分からない。最終的には胃がちくちく痛くなってきたのでドグマチールも1錠飲んだのだが。とりあえず、思いつく対策・選択肢はそれぐらいしかなかった。ならば、効いたと思うしかない。そうすれば少なくともプラセボ効果は期待できるから。

まだ手の指の関節に残滓が残っている。痛みのような、凝りのようなものが。

今日は本を選ぶという、むしろ楽しい夢を見て起きたのだがなあ。

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