1月26日、土曜日。
実際のところ、大坂なおみというテニスプレーヤーを僕はこれまでほとんど知らず、せいぜいがインタビューの動画を見たことがあるだけだった。正直言ってテニスというスポーツ自体に魅力をあまり覚えなくなって久しく、自分が中学高校とテニス部(軟式)だったことすら常日頃忘れているくらいである。最後にテニスをやったのはもう20年以上前で、最後にテニスに誘われたのは庄野(真代)さんだからたぶん21年ぐらい前だ。田舎に戻るときにラケットもボールも捨ててしまった。学生テニスプレーヤーだった叔母からもらったウィルソンのラケットはショックアブソーバーが取れてしまったし、まともなラケットはユーミンの原盤ディレクターをやっていたときにLAで買った一本だけだったが、どっちにしろこの先テニスをやることはもうないだろうなと僕は思ったのだった。
そんなわけだから大坂なおみがテニスをするところを見たのは今日が初めてだった。そしてそれは全豪オープンの決勝戦だった。見たのは2セット目の途中からだが、何しろテニスを見ること自体が久しぶりなので、確かに上手いことは上手いのだろうがそれがどの程度なのかというものさしが僕の頭にはもうなかった。アナウンサーの実況で彼女は全米オープンを勝っており、現在ランキング4位でこの試合に勝てば世界ランキング1位に、負けても2位になるということは分かった。しかしながら、僕は彼女が21歳であることすら知らなかった。ググってみて初めて、大阪生まれであることを知ったぐらいだ。
1セット目を7-6で取った彼女は2セット目で2度ブレイクしていよいよチャンピオンシップポイントになった。それも40-0だからトリプルである。ところがそこから何故かポイントが一向に取れなくなり、ついにはそのゲームを落とし、2セット目も逆転で落としてしまった。傍から見ていてもそれがメンタルの問題であることは分かった。彼女は明らかに感情的になっていることが見て取れた。そんなわけだからこのままだと難しいゲームになるだろうなと思って3セット目は夕飯の支度をしながらなんとなく見ていたのだが、一体どこでメンタルの優位性が入れ替わったのだろうか、いつの間にか大坂は試合を立て直していた。再び迎えたチャンピオンシップポイント、これは大坂が勝つだろうなと思った。有利という面では2セット目の方が有利だったけれども、3セット目はメンタルを含めて優位に立っていることが分かった。すると案の定クビトバ(チェコの選手であることを知らなかった)はミスをして大坂なおみが勝った。こうして僕は日本人が初めて世界ランキングの1位になる瞬間をリアルタイムで見たのだった。
考えてみると僕が比較的熱心にテニスを見ていたのはボルグやマッケンロー、あるいはボリス・ベッカーのころで、日本人で言えば福井の時代が終わって松岡修造が出てきたころだった。伊達公子が出てきたのはもうちょっと後だ。いずれにしろ、日本人がグランドスラムで勝つなどということは想像すらできなかったし、ましてや全米全豪と勝ってランキングの1位になるなどということは言うまでもない。それが突然(実際僕にとっては突然の出来事だった。何しろ大坂が全米に勝ったことすらろくすっぽ知らなかった)今日実現したのだった。なんだか狐につままれたような感じだし、大阪が英語以外を喋るところを見たこともないので、いまだにピンと来ない。でもそういうことはまるで当たり前のように突然実現(あるいは出現)する。例えば昔昔、まだ僕が日本のプロ野球を見ていたころ、スピードガンというものが出てきて中日の小松が150kmを計測したことに驚いたものだった。それが気がつくと160kmを投げる大谷という岩手の高校生が突然現れた。そして、日本人が160kmを投げるということはそれほど不思議なことではなくなっていた。
そういうことはサッカーでも同じで、日本代表が初めてワールドカップの出場を決めて大騒ぎになったころを考えると、いまや代表のメンバーほぼ全員が欧州でプレーしているなどということは当時考えも及ばなかった。そういうことは枚挙に暇がない。僕が子供のころは21世紀というのは未来の象徴だった。21世紀になるころに自分はいくつになるか考えて、それまで生きていられるだろうかなどと考えたものだった。キューブリックの「2001年宇宙の旅」はかつて未来を描いたSFだったが、今となっては2001年というのはなんてこともなく通り過ぎた過去である。別段何も起こらなかった。と思う。1999年の7月に世界は滅びなかったし。
結局のところ、僕らはすべて当たり前のこととしてぼんやりと日々を過ごしているように思えるが、そういう日々の間にあらゆることは実現してしまうのだ。そしてそれはさほど不思議なことでもない。驚くべきことに。
要するに一言でいえば、長生きはするものである。