令和

4月1日、月曜日。

朝食後、台所で11時半にNHKをつけて新元号が発表されるのを待ったが、NHKの中継はやけに軽くて浮足立っていて厳粛な雰囲気はまったくなかった。発表された元号は「令和」だった。印象としてはそれほど悪くない。高輪ゲートウェイよりはずっといい。だが夜になってツイッターのタイムラインに「2020年は令和2年」とかあるのを見ると、なんだか江戸時代にタイムスリップしたような変な感じはある。

実際問題として令和になるのは来月からなのだが、午前中はまるで発表された瞬間から元号が変わってしまうような錯覚に陥った。僕は生まれついてのペシミストであるが、令和という時代に関しては不思議なことにどこか楽観している。たぶんそれはそれがまだ存在しない近未来だからなんだろう。つまりまだ元号が変わるということがピンと来ていないということでもある。そして、新元号の時代は自分の人生にとっておまけ感がある。これまでの自分の人生に於いて、昭和と平成をちょうど半分ずつ生きてきた。だからおまけなのである。どこか楽観的になるのも、子供のころに買ってきた雑誌の付録を開けるような感じがするのだろう。

昭和と平成ではどちらが面白かったかというと、印象としては平成のような気がするのだがよくよく考えてみると一番面白かったのは80年代後半、つまり昭和の最後の方だった。平成も最初のころはなかなかに楽しかったのだが、3分の1を過ぎてから残りの20年を薬漬けのうつ病の人間として過ごしてしまったし、何よりもバブルのころの面白さには到底及ばない。80年代の後半は毎日ほとんどの時間をスタジオで過ごしていたのだが、スタジオの帰り、深夜2時3時になってからまだ遊ぶ余力があった。青山の骨董通りの交差点近辺では国産車よりもベンツやBMW、サーブといった高級外車の方が多かった。世の中全体がハイになっていて、どこか浮かれていた。大手広告代理店や商社では一万円までは経費を清算するのに領収書がいらないとか。僕は僕でタクシーや食事代の空の領収書を集めるのに全力を注いでいた。喫茶店でお茶をしていると、当時まだ珍しかった携帯電話で「6憶までなら現金で出す」などと話す声が普通に聞こえてきた。まったく無茶苦茶な時代だった。世の中の人全員がトレンディドラマ(←死語)の世界を生きているような錯覚に陥るような。またああいう時代が来ないかなあ。

いずれにせよ、平成はまだ一ヶ月ある。

それはともかくとして、「101回目のプロポーズ」やっぱり無茶苦茶面白い。6話まで見たら浅野温子の演技とかもうどうでもよくなった。6話はちょうど有名な「僕は死にましぇん」の回。

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