11月2日、月曜日。
夜、アマゾンプライムビデオでパク・フンジョン監督の「The Witch 魔女」という映画を見た。
主人公が尋常じゃなく強いという映画は本来ハリウッド映画の十八番のはずだし、日本で言えば『あずみ』辺りもその辺に相当するが、韓国映画はその強さの表現のベクトルそのものがどこか捻じれており常軌を逸していて、まさに狂気を感じる。
— Sukeza (@anykindoflove) November 2, 2020
いやはや、とにかく凄い映画だった。かつて黒澤明は主人公の並々ならぬ強さをこれでもかと次から次へと襲ってくるピンチを凌ぐことで表現していたし、ハリウッド映画やエンターテインメント小説の手法もまあそれに準じている。そこにスリルがあるということで。ところがこの映画はというと、とにかく主人公が強過ぎてピンチにすら陥らない。平凡な女子高生が最強だったという具合にある意味この映画は最初からネタバレしているわけで、見ている側もそうだよなと想定して見ている。つまりある意味水戸黄門的なものとして。この先入観の上を行くにはどうすればいいのかということを異様な熱意で表現していて、そのあまりの熱意に圧倒されてしまう。予想していたはずなのに「えっ?」とかになる。笑っちゃいそうなくらい大袈裟な表現手段も用意周到に畳みかけられると案外と爽快だということ。あ、そうか、主人公がまったく次元の違う強さでカタルシスをもたらすというのは、隆慶一郎の時代小説の手法だ。有無を言わさぬ、圧倒的な強さ。