沈没後の世界、ユニゾン

11月27日、土曜日。

当然のように昨夜あれからドル円はゼロカット、ユーロドルは自力で損切りしてトータルで山形県の派遣社員の平均月給ぐらいの損失。これだけ負けるのは久しぶり。口座をひとつ飛ばしてしまったわけで、これは相当メンタルがやられるのではないかと思ったが一夜明けて朝起きてみると不思議なことにむしろ気持ちはすっきりしているのだった。恐らく掘り下げて向き合うと絶望してしまいそうではあるが、なんていうかひとつのインシデントとして消化しているっぽい。気分的にはとことんまでやり通した的な感じはある。うちの向かいの寺の門前にもう何年も「生きとげる  死にきる」という文言が掲げられているのだが、それでいうところの死にきった感じかも。

鹿島 1-0 鳥栖。

鹿島のホーム最終戦は結果的にというかスコア的にというか、鹿島らしい試合になった。とはいうものの、唯一のゴールを挙げた上田綺世はもう2点は取れていたし、荒木遼太郎も2アシストぐらいつきそうだったので、その辺が具現化できないところが今季のもどかしいところなのかも。今日はそれよりも試合後に鳥栖に完全移籍した小泉慶が鹿島サポーターのところに挨拶に来た折に鹿島の選手全員が寄ってきて全員で写真撮影をしていたのが胸が熱くなるシーンだった。

夜、ヤマザキやヨウタロウに演奏を頼んだ手前もあって、Main Streetのベースとのユニゾン部分のギターがソロで聴くと上手く弾けていないのが気になったので、そこだけ弾き直し。ところがこれが何回やっても上手く弾けない。素では弾けるのだがオケに合わせる段になるとどうしても粒が揃わず弾ききれない。つまり譜面通りに弾けていない。今のところまだドラムベースは打ち込みのままなので情け容赦なくジャストで来るので、それにぴたっと合わせるというのは並大抵のことではない。そんなわけで16小節を延々と2時間以上、テイク18ぐらいまで弾いて終いには腱鞘炎になりそうになった。オケに合わせるとどうしても右手のピッキングがついていかない。この曲を書いたのは二十歳のときで、学生時代は平気で弾いていたのだが……。要は昔は指が動いた、ということなのだろうか。

結局満足のいくテイクは録れず、疲れ果てて深夜だがピアノのヤマザキに電話、話してみると今までのバージョンで全然気にならないということだった。逆に彼に言わせると、ギターは問題なく、まだこれぐらい弾けるんだと思ったそうである。そういうもんなのかな。

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