9月4日、日曜日。

9時55分起床。昨夜寝たのが遅かったので眠かった。よって午前中は昼寝。

今日は天気が晴れたので午後庭仕事。北側のツタの片づけ。20分。ようやく台所にはたどり着いたが、永遠に終わらないような気がする。それ以外はとにかくヒマ。

ヒマだなあと思うたびに襲ってくるのは、無力感よりもむしろ孤独感。そしてそれ以上に感じるのは、世の中の少なくとも自分が知っている人たちは自分を除いて全員が忙しいのではないか、ただ自分ひとりがヒマなのではないかという疎外感だ。

いまさらながらフロイトはある意味正しかったなと思うのは、今の自分には性欲がないというか足りない気がするので、モチベーションの根源の部分、つまりリビドーが足りないと思えるから。これはつまり、欠落である。ではその部分を何をもってどうやって埋めていくのかというと、途端に怪しくなってくる。性欲は性欲でしか埋まらないのではないか、という疑念がある。

帝政時代のロシアの農民は、労働に疲れ果てて性欲がなかったという逸話がある。ということからひも解くと、性欲の欠落は労働で埋めるという論理が出来上がるが、ではその労働のモチベーションが性欲から生まれるとすればどうなるのだろう? 堂々巡りだ。論理の破綻である。フロイトの説の危うさはこの辺にある。

これだけの疎外感、虚無感の中でもやろうと思えば曲のアイディアは出てくる。最も根源的な部分が半分以上欠落していたとしても、何かを創り出すことは可能なのだ。

だから20年以上のブランクはあるけれども、今でも小説を書くことはできる。少なくとも小説だと称するものは。ただ今のモチベーションがそこにはないだけ。

明日は午前中に母と窓越し面会。

それにしても、日々欠落していくものは一体どこに行くんだろう? 僕らはただ失うだけなのだろうか。

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