失ったものを数える

10月9日、日曜日。

9時21分起床。昨日と1分しか違わない。

今日はというか明日まで何の予定もない。漠然と家事全般、ハウスキーピングをやろうかなと思っていた。それで午前中は書斎の片づけ、昼食後の午後は庭仕事(玄関前の剪定)をしたのだが、この庭仕事を終えた時点でまだ午後3時にもなっていない。なんだか一日が長く感じた。それで、自分史上もっともめんどくさい作業としてなかなかやれずにいた、二階の障子張りの続きをやることにした。

で、1時間で2枚(正確には1枚半)の障子張りに成功。我ながら頑張ったなと思う。というかやればできるという感じ。

ここまでで個人的には結構頑張った感があったので、髪を切りに行った。タイミングよく待たずに切れたが、かつての1000円カットは1290円になっていた。

夕食後Netflixでドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」を1話分見る。その後の夜は相場のテクニカルの勉強。

今日は時間が有り余ってたびたび立ち止まる一日だったので、何かと考えた。例えば、人生を振り返ることは失ったものを数えることだな、とかそんな具合。

母がまだ統合失調症を発症する前でしっかりしていたころ、最後にまともな母から怒られた言葉として、「人生でひとつぐらい我慢してみろ」(「ひとつでも」だったかもしれない)という言葉があって、その意味は言われたときは明確で煙草のことだったのだが、その言葉を思い返してみて、今我慢するとしたらなんだろう?とか考えた。煙草を我慢する気はもうない。何故なら、いまさら煙草を辞めても得るものがそれほどないから。しかしながら、なんだか一番我慢できないものを我慢しろと言われているような気がしないでもない。何かを諦めろと。

そう言われてみると、何も我慢しないで生きてきたのかもなあと思ったり。失うのも当たり前なのかなあ。求めよ、さらば与えられんと聖書では言うけれど、求めるものほど手に入らない感はある。

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