9月5日、火曜日。

10時54分起床。妙にリアルな夢を見て、続きが見たいと二度寝したらこんな時間に。最近の夢に色がついていると先日書いたが、今までは夢の中の自分は大体30~40代のことが多かったのだが、ここに来て夢が現在に次第に近づいている気がする。つまり、夢の中の自分も今の自分に近づいている。それがどういう意味を持つのかは分からないが。

業務は今日も損切りスタート。後になってこの損切りは無駄だったことが判明したが、このところの連敗でまずは負け方を覚えようとしているので、これはこれで仕方ない。その後挽回はしたものの、最初の損切りがあった分大したプラスにはならなかった。とはいえ、ひとまず連敗はストップ。

午後早い時間にハローワークに行って紹介状をひとつもらう。これもまた連敗の心理効果だが、ひとつには給料が安すぎるということと、フルタイムの仕事をすると母と面会できなくなるという問題がある。特に後者の問題は大きい。そんなわけでまだ応募するかどうか決めかねている。といってもあっさり年齢で落とされそうだが。

Amazonのオリジナルドラム「ジャック・リーチャー」を見終わる。2回目。最初見たときは面白いなと思ったのだが、漫画「ザ・ファブル」を読んでから改めて見ると主人公のジャック・リーチャーが弱すぎる。すぐピンチになってしまう。この辺はハリウッド映画でも定番だが、アメリカのヒーローというのは必ずお約束のようにピンチになる。かたや「ザ・ファブル」の主人公は登場しただけで絶対にピンチにはならない。この違いは物凄く大きい。ヒーローというものは想像を絶するぐらいとんでもなく強い方が痛快なのである。それこそ、神に匹敵するぐらい。高野和明の小説「ジェノサイド」が痛快なのは、ほとんど人間対神という構図になっているからだ。神には勝てるわけがない。ヒーローというのはそれぐらい強くてもいい。

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