煙草

12月14日、木曜日。

9時14分起床。

気がつくと、今週は煙草の本数が増えている。なんでなんだろうと考えるに、ひとつは自分にしては比較的朝早く起きているからということが考えられるが、それを言うならことさら今に始まったことではない。手帳に毎日、吸った時間と本数を書いているのだが、今手帳をさかのぼってみると9月の終わりごろから本数が増えていることが判明。以前と比べると最近はむしろ寝る時間が早くなっているのだが、要はストレスに応じて増えているようだ。トレードのストレス、オンラインバンドがなかなか進まないストレス。さらに言うならば、たった一人で田舎に暮らしているストレス。これはいわば閉塞感みたいなもの。

近頃は町内の温泉に行く癖がついて、それがストレス解消になっていると思うのだが、実際には煙草の本数はむしろ増えているのが不思議だ。

煙草を吸いたくなるのは、食後や珈琲を飲んでいるときはもちろんのこと、ストレスを感じたときとストレスから解放されたとき、両方とも吸いたくなる。なんにせよ、終日珈琲を飲んでいるようなものなので、そういう意味では減るはずもないのだった。

かつては昼寝をすることによって煙草の本数を減らしていたところがあったのだが、ここ最近、昼寝をしようとしてもどういうわけかちっとも眠くならない。それで、これは無理と諦めてしまう。

いずれにしても、市川崑みたいに一日100本とか吸っているわけでもないので、20本以上吸ったら30本も40本も大差ないような気はするのだが、何故か30本を超えると気が咎める。つまりそれは自制心のなさを表しているように思えるから。しかしながら、何故自制心が必要なのだろうか? 一人暮らしなので誰に気兼ねするわけでもなく。結局のところ煙草を吸うか吸わないかの二択しかなくて、何本吸うかというのはさしたる問題ではないように思える。

実家に戻ってきたばかりのころ、4ヵ月禁煙したときのことを思い出してみる。一体どうやって煙草を吸わないで過ごしていたか。なんでまた煙草を吸おうと思ったのか。

禁煙していた間は、ずっと煙草が吸いたい、煙草が吸いたいと思っていたように思う。で、ある日、煙草を吸った方が人生としては気が楽だと思ってふたたび吸い始めたのだった。

ただでさえ煙草を吸える場所が少ないこのご時世、煙草を吸うことの不都合は確かにある。匂いを気にする人も多いが、一番の問題はヤニで汚れることだと思う。あと灰とか。でも結局はやっぱり煙草を吸う方が気が楽なのである。肺がんで亡くなった筑紫哲也が病床で、「一服できないのはつまらない」と言ったらしいが、要するにそういうことだ。吸いたいから吸う、禁煙の場所では吸わない、それでいいんではないか。

おっと、今日もプロモーションのために動画を貼っておこう。

それと、1曲ミックス・マスタリングし直してアップした。

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