無為

玄関のチャイムが鳴って、8時40分に起きた。見ると、回覧板が届いていた。昨夜はなかなか寝付けなかった。睡眠薬を1錠飲んだのだが、どうも最近ベンゾジアゼピン系は効かない。

まだ自分の病院に行く決心がつかない。忸怩たるものを抱えながら、今日も遊びの業務へ赴く。4時過ぎ、意を決して母親の病院へ。今日は面会が出来た。相変わらず母親の言葉はひたすら妄想を語るものだった。入院する前の晩、僕と一晩中格闘したことが頭を離れないようで、僕が母親を蹴ったと言ってきかない。このところ、僕の顔を見るとずっとこの話ばかりだ。それが撮影されていて画面に表示されるのだと言う。僕は母の状態が悪いことを知りながら、それでも比較的落ち着いている方だと思い、思い切って父のことを話した。しかし、別人格の母はまったく動じなかった。動揺するどころか、とっくに承知の上、という様子だ。これには逆に僕の方が動揺してしまった。携帯を取り出して、父の通夜と葬儀の写真を見せようとしたが、何故か携帯のフォルダには入っていなかった。僕は母の手を握りながら、いつまでも母の話を聞いた。それはどこまでいっても同じ話だ。僕の話の多少の影響と言えば、父が可哀想だと涙ぐんだことだった。母は別人格ながら、自分が精神病院に入れられていることを理解していて、そしてそこからもう出られないものだと思っている。僕がいくら治ったら出られると言っても聞かない。母の話を聞きながら、僕の目には何度も涙が滲んだ。そのうち、男性の看護師に面会を切り上げるように言われ、渋々と僕は病室を後にした。外は雨、僕が抱えているのは巨大な無力感だ。

帰りがけ、郵便局に寄って家庭裁判所に母の保護者になるための書類を投函したが、それもまるで母を精神病院に投獄する作業のように思われた。何もかもが苦しい。夜はひたすらYouTubeでJill Scottの曲をダウンロードする。せめてもの慰めだ。天童で仏壇屋を営む高校のときのバンドのボーカル、ストウに電話して明日来てもらうことにする。四十九日まで位牌を作らなければならないから。それにしても、この憂鬱には終わりがないように思える。恐らく、母が元に戻らない限り終わらないだろう。僕はいつまでこの家でひとりで暮さなければならないのだろう。

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