象徴的なタイトル。あるいは象徴としてのタイトル。
朝食中に母が意識を失った。妙な声を発したと思ったら、みるみるうちに顔が真っ白になり、呼びかけてもまったく反応しなくなった。ぐらぐらしている。一瞬、僕は母に父と同じことが起こったのではないか、つまり食べ物を喉に詰まらせたのではないかと思った。僕がまず最初に確かめたのは母が息をしているかどうかだった。僕が耳元で大声で呼びかけても母はぐったりとして目は何も見ておらず、何の反応もない。その間、たぶん5・6分だったと思う。そのうち母は口の中にあったパンを吐き出し、どうやら意識を取り戻した。随分口が臭いなと思ったら、母は大量に脱糞していた。意識が戻って最初は言葉も不明瞭で、どうやらトイレに行きたいと言っているようだった。なんとか立ち上がれたのでトイレに連れて行って座らせたが、既に母はすべて出し切ってしまっていた。そこら中がうんこだらけだ。それで母を風呂場に連れて行き、シャワーで身体を洗って着替えさせてベッドに寝かせた。それから僕はうんこまみれの母の衣類を洗面所で洗い、洗濯機に放り込んで洗濯機を回し、雑巾と洗剤を持ってきてそこら中に散らばっているうんこを拭き掃除した。
小一時間ほどしてようやくひと段落ついて、机に向かって煙草を一服しながらさてどうしたものかと考えた。この場合、やはり医者に連れていくべきなのだろうかと。救急車を呼ぶべきだったのかと考えたが、僕はこれまで救急車というものを一度も呼んだことがなく、この場合どう説明したものか、果たして救急車を呼ぶべきケースなのか判断が即座にはつかなかった。それでまずHに電話してみたが留守電、次に元妻に電話をしたが留守電、だが元妻からすぐに電話がかかってきたので事情を話すと、脱糞するというのはかなりのことだから救急車を呼ぶべきだと言う。それで119番に電話をして経過を話すと、ものの5分ほどで救急車が来た。
母の静脈血栓のこと、数日前の極端な低血圧のことなどを話すと、救急隊員は血栓が流れてどこかに詰まったことも考えられるし、脳疾患も考えられるので、地元の病院ではダメで隣町の病院に搬送する必要があると言う。救急隊員が奥の部屋に寝ている母のところに行くと、母は歩けるし話も普通に出来る。普通だったらこういう状態の人を救急車では運ばないとは思うのだが、救急隊員は母をストレッチャーに載せて救急車に運び、血圧や心電図を計りながら、通常ならもっと重篤な患者しか受け入れないという、母が静脈血栓で通っている県立中央病院に交渉すると、受け入れてくれるということだった。
それで母は山形の県立中央病院の救命救急センターに搬送され、僕は車で後を追った。
そんなわけで僕が村上春樹の「多崎つくる」を読み終えたのは救命救急センターの待合室でだった。一通りの検査を終えて診察室に呼ばれると、母は点滴を受けていた。医者の話によると脳を含めてどこにも異常はないということで、血栓が流れたわけでもなさそうだ。てんかんの発作があるかどうか訊かれたのでないというと、一時的に迷走神経の関係で血圧が急激に低下したのが原因ではないかと言われた。
病院に向かう道すがら、このまま入院となったらどうしようとぼんやりと考えていたのだが、結局は入院せずに済んだ。母はそのまま帰ることになり、帰り道に僕が空腹を覚えたので途中のドトールに寄って僕はサンドウィッチの昼食を摂り、母は食べたくないと言ったのでアイス・ラ・テを飲んだ。が、夜になって救急車で運ばれた人が帰り道にドトールでお茶を飲むなんて考えられないと母に言われた。おまけにその晩に蕎麦の出前を取るなんてこの辺ではあり得ないと。僕はよっぽど常識がなくヘンな人間なのだろうか。
とにもかくにも、原因となる確たる疾患はなかったのでよかったと言えばよかったのだが、逆に言えばまたいつ起こるか分からないということにもなる。母は15・6年前にも結婚式の最中に3分ほど意識を失って失禁したことがあり、そのときは虚血性のなんとかが原因ということで、今回もほぼ同じようなことだと思う。24時間心配していたらきりがないし、僕の生活というものも成り立たなくなる。だからこれ以上極度に心配するのはよそうと思うが、実際のところ、朝無反応の母を見たとき、このまま母は死んでしまうのではないかと思ったのだが、それでも今日の出来事に関してはどこか現実感が薄いというか、現実の表層だけを上滑りしているような感覚がある。それは僕が安定剤を飲んでいることによってどこかぼうっとしている、ある種鈍感になっていることだと思うのだが、それにしても今朝の出来事が随分と遠いことに今感じられるし、この現実感の希薄さはなんなのだろうと思う。僕は確かに必死に母の脱糞の後始末をしたし、出来るだけのことはやったつもりなのだが、父が倒れたときのように手がぶるぶると震えて止まらないというようなこともなく、アドレナリンが過剰に分泌された感じもなかった。ドトールやら蕎麦の出前やらのことも含めて、この今の僕の感覚というものはいいものとして捉えるべきなのかどうなのか、いまだに分からない。
母は大事を取ってほぼ一日寝ていたけれど、夜になって弟に電話したりと、普通には戻っている。
病院の待合室でもしばらく母の便の匂いが鼻腔からなかなか離れなかった。なので、今日一日の印象は母のうんこの匂いなのである。
というわけで、村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」読了。ネット上に感想やら批評やらが溢れているこの作品についていまさら感想を書くのもなんなのだが、最近の村上春樹の作品の中ではストーリーはよく出来ていたと思う。誰かが言っていたような、「1Q84」に散見された「収束されない暗喩」などはどこにもなく、むしろすべてが明瞭になっていた。僕が気になったのは、直喩の多さである。これは「スプートニクの恋人」辺りから目につくようになったのだが、今回は特に「~のように。」「~みたいに。」で終わる文章がやたらと多く、それは過剰であり余計なものに思えた。村上の小説を読む要素の非常に多くの部分を文章を読む楽しみが占めると思うが、この、練りに練られたと思われる頻繁に現れる直喩が、魚の小骨のように文章を読むリズムを悪くしている。意図的に考えられた比喩がそのたびにリズムを止めてしまう。それに、前作辺りからやたらと多い「おおむね」という表現も不自然なくらいに多く、これも頻度が多過ぎて文章を読む興を削ぐ要因となっている。この辺が全部削ぎ落とされて、初期の作品に見られたミニマリズムに近い手法を取っていたなら、もしくは「ような」とか「みたいに」で文章を終わらせず、例えば「ようだった」「みたいである」というような変化をせめてつけていたら、と思う。比喩辞典のような村上の文体とは対照的に、サマセット・モームの「月と六ペンス」においては比喩はほとんど登場しない。これは読んでいて最初は気づかない。途中で、ほとんど比喩が使われていないことに気づく。すべてが映画のようにアクションとシーンの積み重ねで表現されている。これは素晴らしいと思った。練りに練った比喩を積み重ねるよりも、より高度な文章力が必要とされる。以前よりも村上の文体は普通の小説表現に近づいた(比喩を除けば)と思うけれど、昔からのファンとしては過剰な表現を削ぎ落とすことが先決のように思えてならない。
それはそうと、夜もう一度元妻と電話で話していたら、来月末からねこカフェを始めるという彼女がブログを始めて1ヶ月で読者が380人、ねこカフェのブログランキングで4位という話を聞いて衝撃を受ける。彼女の娘のブログに至っては読者が千人単位だと言う。唖然。僕が自分のサイトを立ち上げたのはまだ20世紀だったころ、もうかれこれ14・5年になるというのに、僕の日記の読者は100人いるかいないかといったところ、それでも昔の10倍ぐらいではあるのだが、それにしても。まあ確かに昔のようにパチンコの日記を書いていたころならもう少しカラーが明確ではあったが、今では単なるうつ病の人間の個人的な日記と化しているので無理もないと言えないこともないが、最近ではほとんどコメントもないし、読者定着率が悪過ぎるような気もする。なんていうか、やる気失うなあ。マジで。かなり脱力。といって、いまさら方向転換などをしてもしょうがないし、独自ドメインでやっているとこんなものなのだろうか。まあいずれにしても僕のサイトのコンセプトと方向性の問題なのだとは思うが。うむむ。外部ブログなんかやるよりもfragmentsの更新をやるか、また業務の日記でも書いた方がいいのかも知れないな。と思ったりするものの。
今日の煙草は18本。元妻と話した後、Hと長電話。この日記を書いていると母が起き出して着替えを始めたりしたので、慌てて寝かしつけた。疲れる。