神々の深き絶望

今日の母は最近で一番酷かった。身体的にではなく。ほぼ一日中放心しているような状態。何も出来ないし物忘れも酷いし。そんな頭が回っていない人間に対していらいらして説教したり怒鳴ったりしてもまったくの無為であることは明白だ。しかしそうせざるを得ないほど、僕の絶望は深かった。今日は何度大声を張り上げたのだろう。今日の母は呆けている老人と大差なかった。風呂に入ってもボディシャンプーとシャンプーを取り違えそうになるし一度髪を洗って風呂から上がるのかなと思うとまた髪を洗おうとしたりする。風呂から上がってまた滔々と説教をしてしまい、母が就寝したのは12時を回っていた。この状態が続くようであれば、僕は自分の残りの人生を捨てるしかないと思った。僕がいまさらながら絶望するというのは、いまだにわずかながらでもなにがしかの希望を持っていたということか。今の僕に必要なのは諦念なのだろうか。それとも非情な割り切りなのだろうか。ときどき、姥捨て山というのは本当にあったのだろうかと考える。あったら捨てたいというわけではない。そういうものが本当にあって、捨てざるを得ない状況がかつての日本にはあったのだろうかということだ。ウィキペディアでみると、ただの伝説であるようだが。

要するに、特に夜になってから、僕と母の対峙する様子は絵的にも悲惨なものだった。僕には話す相手が母しかおらず、母には僕しかいない。僕が怒鳴っても頼んでも、母にはどうしようもない。表情もほとんどなく顔色の悪い顔を僕に向けて、僕に謝る、つまり自分が悪いということぐらいは分かる分別はまだある。しかし解決法を自分で考えることが出来ない。何もかも人を頼るしかない。それでいいのかなどという根源的な問いを投げつけること自体がそもそも無理があるのは重々僕も承知なのだ。それでも言わずにはいられないほど、僕は母になんとか立ち直ってもらいたいと心の中で懇願しているのである。

一昨日ぐらいから調子が悪いし、恐らく今の母の状態は一時的な病状から来るものだとは思う。でも、僕はやっぱり怖くなる。このまま続いたらと思ってしまう。僕も同じように弱っているのだ。しかし僕は母のように何も出来ないと言って終わらせることは出来ない。何もかも僕がやるしかない。どんなに暗澹たる気持ちを抱いていても。

そんなわけなので、オリンピックなんてどうでもいいのだった。大体において、今の日本の状態でオリンピックを招致する意味ってどれほどあるのか。招致に使った金の使い道はいくらでもあるだろうに。国民一人当たりに換算しても膨大な借金を抱えている国が。どこかプライオリティを間違えているような気がする。

昨夜は何時に寝たのだろう。今朝起きたときには8時を回っていた。午後は母のネガティブな状態にやられて抑うつ状態になり、1時間ほどソファで寝た。夢の中にも母が出てきた。もっと寝ていたかった。

母の状態と自分の状態がリンクするようでは本来ダメなのだと思う。結局、この辺が僕がうつ病であり悲観的傾向であるところなのだ。どこまで行っても能天気には程遠い。能天気は無理でも、寡黙ではあるべきなのだと思う。明日も雨らしいし、気晴らしをするのも難しい。所詮この道は行き止まりなのか。僕は何処に光明を見出せばいいのだろうか。ただ暗闇に目をつむるしかないのか。ときおり音楽に耳を傾けて。

今日の煙草は20本。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク