MRIの結果から、脳神経外科医が認知症ではないと断言したけれど、今日の母は認知症であるとかボケているとかはともかく、痴呆そのもののようだった。結局のところ、セロクエルを元の量に戻したのも今のところはまったく効果がなかった。僕が書斎にいると、亡霊のようにやってきて例の表情のない顔で僕をじっと見つめ、僕が何か問いかけてもほとんど返事をしない。そのプレッシャーたるや半端ない。
統合失調症というのは怖い病気だなあと思う。いわゆる狂気とか電波が入ってるとかいうのは皆統合失調症なのではないだろうか。昔、松任谷の事務所にいたとき、会社の入っているマンションの階段に宇宙からの電波で指令を受けたといって座り込んでいた若者がいたり、東京タワーの向かいの日音スタジオのロビーにベテラン歌手の追っかけのおばさんが潜り込んでなにやらまくしたてたりといったことがあったが、そういうのも統合失調症なのではないかと思う。「きちがい」というのは病気ではなく状態のことを指すのであって、知的障碍者等を除けば医学的には統合失調症の重篤な状態なのではないかとウィキペディアを見ても思う。したがって、入院直前の母を完全に気が狂ったと僕が思ったのもまんざら間違いではなかったのだと。
今の母は非現実的なことを口走るわけでもなく、狂気にあるわけでもない。しかし、特に今日は極度の物忘れ、混乱の状態にあった。たぶん呆けではなく、病状の波、変化だと思う。つまり、まだ希望はある。エドガー・アラン・ポーの「陥穽と振り子」「メエルシュトレエムに呑まれて」でも最後には救済が待ち受けている。
しかしながら、まさに呆然といった言葉そのものの空虚な母の表情を見ていると、ストレスで潰れそうになる。暗澹とした気持ちになる。暗渠に両足を捕らわれたような気が。
そこから気を持ち直すのは並大抵のことではない。あまりのプレッシャーにいらいらする。また母を怒鳴り付けそうになる。なので、僕は母が寝付くまでひたすら耐えることにした。自分を押し殺し、胃に穴が開かないように好きなだけ煙草を吸ってもいいことにした。だが、やっぱり吸い過ぎると眩暈がして気分が悪くなる。
本当に救いはあるのだろうか。
夜、母が寝付いてから書斎のドアを閉めて少しだけピアノを弾いた。そろそろここに楽器をセットしてまた曲でも作ろうか、それとも久しぶりに小説をまた書き始めようかとも考えた。僕は何も出来ないと言う母に、嫌なことや分からないことはしなくていい、したいことだけすればいいと言った。結局それは自分に言い聞かせているのも同様なのだ。そうしないといずれ僕は潰れてしまうだろう。余裕がないからこそ、余裕があるときしか出来ないことをやるという、そういう時期に来ているのではないかと。
母があまりに呆けているように見えたので、認知症の母親を持つマユとLINEで話をしてみた。しかしながら、なんの救いにもならなかった。I泉さんは相変わらず電話に出ない。弟に電話しようかと思ったが、恐らく何の意味も効果もないと思うので止めた。僕は気を紛らわせたいだけであって、誰かと電話で話をしたいわけではないことに気づいた。要するに、僕は弱音を吐きたいわけではないのだ。
今日も快晴だった。業務に行ったが精神的に持たず、早々に帰ってまたソファで1時間気絶した。煙草は23本吸った。もう以前の本数に戻ってもいいと思っている。ただ眩暈がして吸えないだけ。
僕の足下には陥穽があり、僕の頭上には鋭い刃を持った振り子がある。
それでも時は過ぎる。やがて冬が来て、また春が来て夏が来て。それを希望とは呼ばない。ただものごとは過ぎ去るというだけに過ぎない。果たしてそれは救済なのだろうか。