不幸、沈殿と腐食

これはいつものことなのだけれど、テレビの地方版のニュース、山形県内の地方局制作のニュースになると嫌な感じがする。ほとんど嫌悪感を覚える。今日もそうだった。母と一緒に夕飯を食べていて、母のためにテレビをつけていたのだが、県内のニュースになった途端に強い嫌悪感を覚え、改めて僕はこの土地が嫌いなのだと思った。そして、それはとても不幸なことなのだと。

僕は不幸なのだと思った。僕はこの嫌いな土地で残りの人生を終えなければならないのだと思うと、「終わり良ければ総て良し」の理屈から行くと、僕の残りの人生は限りなく不幸なのである。なにもそう決まったわけではないのだが、本当にそういう気がして、暗澹たる気分になった。

今日の母は一応朝からデイサービスに行ったものの、最近になく酷い状態だった。夜はいつまで経っても眠らず、とうとうまた僕はキレた。手を挙げることはこらえたけれど、罵詈雑言を浴びせた。無為と分かっていても。たぶん、夕飯時の鬱屈のせいもあったのだろう。実際、僕は物凄く疲れていた。昨夜、寝るまでは気づかなかったが、寝床に入った途端、まるで全身が濡れた雑巾のように疲れているのに気づいた。身体がずぶずぶと布団の中に沈み込んでいくような感覚を覚えた。

午後、業務から帰宅して母がデイサービスから帰るまで、ソファで気絶したのだが、母が戻ってからもまた寝てしまい、都合3時間近く寝てしまっただろうか。それほどまでに疲れていた。こうしている今も、肉体的にというより、精神的に沼の底の沈殿物のように疲れ切っている。なにしろ母は就寝前の薬を飲んでからパジャマにも着替えようとせず、結局布団の中に入るまで3時間あまりを要した。一向に眠る気配を見せないので、睡眠薬を飲ませて僕がパジャマを着せて、ようやく布団の中に入った。これは病状の変化であって一時的なものなのだと思おうとしても、既に抑うつ状態にある僕の憂鬱はあまりに深く、久しぶりに左手の親指が反り返った。数年前まで強いストレスを覚えるといつもこうなった。絶望よりも深い疲労と諦念の中に僕は沈んだ。この状況は、これは一体なんなのだろうといつまでも考えた。

amazonから注文していた日記帳が届いたが、今日の母に見せても嬉しくないと言った。今日の母は一個の人格としての人間であることを放棄しているような状態だった。まるで亡霊だった。亡霊のように夜の台所の隅に、下だけパジャマを穿いて、虚ろな目でいつまでも佇んで眠ろうとしない。それを問い詰めるのはまったくの無為であることは経験上分かっていながら、気がつくと僕はそうしてしまっているのだった。

まったく、今日の僕は絵に描いたように不幸だ。それが客観的に顕在するのではなく、主観的に内在するものだとしたら。それは内側から酸化して腐っていくような、実に嫌な感じだ。

母の目は悲しみのあまり感情を失った犬の目のようだった。

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