翻弄

良いニュースと悪いニュースがある、というのは村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の帯の惹句だったけれど、良いニュースというのは今の僕にはなかなか見つけられず、つまりそれは良いことを良いことであると認識するだけの精神状態にない、ということでもある。

そんなわけで、今朝方弁護士から連絡があり、それはとても悪いニュースに思えた。というのも、その内容というのが、昨日の日記にも書いたように僕の処分は起訴猶予ということで捜査は終了ということであった筈が、弁護士が検察庁に確認したところ、起訴猶予ではなく処分保留であるという話だった。何しろ昨日の今日であるし、今の僕の精神状態は生まれてこの方ないほど脆弱で、些細なことにも激しく動揺する、いわば極度に一喜一憂してしまう状態なのだった。なので、僕は非常にショックを受けた。弁護士の「今後も気を付けてください」という言葉に極めて過敏に反応してしまった。僕には、処分が覆ってしまったような気がしたのである。それで僕は今後も捜査が続く可能性があると思い込み、そのうち忘れたころに起訴されるのではないかと思い込み、もはや枕を高くしてどころか、これではおちおち眠れもしないと思った。実際、僕の手はまたぶるぶると震えてしまったぐらいだ。とにかく今の僕は物事が悪い方に転がることしか頭に浮かばないので。

そんな感じで途方もなく悪いニュースと思い込み、動揺しながら弟と一緒に母の病院に向かおうと玄関を出ると、ちょうど叔母がやって来た。この叔母は例の僕の苦手とする饒舌な叔母だが、彼女はかつて裁判所に勤めていた。で、僕が玄関先で今聞いたばかりの話をすると、どっちにしても終わったのだから普通に生活していれば問題ないのだ、と叔母は言うのだけれど、僕はにわかにはなかなかその言葉を信じられなかった。

で、一旦話を夜まで飛ばすと、父君がかつて弁護士であった後輩のM月くんとLINEで話したところ、処分保留と言ってもお役所仕事としての検察の案件としては終了しているのであり、余程ヒマでもない限り継続捜査などしないということで、僕の杞憂であるということだった。まあそれならそれで一安心、というのが普通なのだろうけれど、何しろ今の僕はあらゆる意味で弱り切っている。あらゆることに翻弄される。こちらが済めばこちら、という具合に憂鬱になるタネは尽きないのだった。

そもそも今日はロクに寝ていない。昨夜はなかなか眠れず結局睡眠薬2錠飲んで寝たのは3時過ぎ、で、今朝起きたのは7時半、4時間半しか寝てない。身も心もボロボロの状態。

ここで時間を巻き戻すと、弟と中華そばの昼食を摂ってから、降りしきる雪の中を母の病院に向かった。母は7階の一般病棟に移されていた。三週間ぶりに会う母は顔色も悪くなく、思いの外状態は悪くないようだった。少なくとも、手術後の経過としては順調である。手術以来、統合失調症の薬は一切飲んでいないらしいのだが、ちゃんと脈絡のある会話も交わすことが出来る。ときどき、自分のベッドがないとか、年金がもう出なくなるとかぼそっと言ったりするのだがその程度、確かに記憶はかなり怪しいのだけれどちゃんと話は出来る。そこで僕は昨日までの経過、つまり何故僕が三週間も病院に顔を見せられなかったか、要するに僕は昨日まで警察に逮捕されていたのだと話した。そして、母の怪我が僕のせいと言うことにされてしまっていたのだと話すと、そんなことはない、なんでそんなことになったのかと母は言う。そして、母は僕の頭を撫でた。恥ずかしいことだが、そして当然のことでもあるが僕はボロボロと泣いた。ティッシュペーパーをひたすら消費した。

これはたぶん良いニュースに入る部類なのだろうが、今の僕は素直にそういう風に認識出来ない。とにかく母が可哀想だ。確かに母は順調に回復しつつはあるのだけれど、これは医者からも言われているのだが、老齢のせいで体力が何処まで回復するかはまだ分からない。既にリハビリは始めているのだが、現在の病院の後はリハビリ専門の病院に移る予定になっており、果たして母が自力で歩行し、入浴やトイレなどを済ませられるところまで回復するかどうかはまだ分からない。もしそうならないとすると施設に預けるしかしょうがなくなる。とすると、もしかすると母はもう自宅に戻れないかも知れない。そう考え始めると僕は例えようもなく暗澹とした気分にずぶずぶと沈んでしまう。母が可哀想で堪らない。それに、実際のところ、明日弟が仙台に戻ってまた自宅に僕一人だけが取り残されることが怖い。30年以上も一人暮らしをしてきた人間が何をいまさらというところなのだが、本当に怖いし心細い。

寝不足と疲れのせいで、病院の帰りに弟と寄ったドトールで僕は物凄いダルさを覚える。弟と施設云々の話をしているとホントに暗くなる。かように、何をもってしても今の僕は翻弄されてしまうのである。暗い方に、暗い方に。

夜は前述のM月くんの後、元妻とも長電話をしたし、Hとも電話で話した。これを書いている今、もう深夜2時近い。たぶん僕は眠いのだと思う。ここで残念なお知らせなのだが、M月くんの忠告もあり、昨日の日記には書くと書いたものの、今回の勾留中の詳細を書くのは控えることにする。勾留前の日記の一部も削るべきところは削った。何故だから知らないが、昨日の日記のアクセス数がやけに多かったのも気になるし。

僕が自分の心のバランスを取れるようになるまで、まだしばらくかかるだろう。気がつくと世間はもうすぐクリスマス、そして今年も終わろうとしている。まったく唖然とする一年だ。少しばかり静かに過ごそうかと思う。もちろん、そんなことが出来ればの話だが。

明日も雪なのかな。


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