朝起きると夜の間に雪が積もっていて、ときおり物凄く強い風が吹いて地吹雪のようになり、今日は母の病院に行けないかも、と思った。BSで朝から丸一日、日本代表のこれまでのW杯での試合を放送していたので、久々に茶の間の暖房を入れて今日は一日コタツでサッカーを見ようかと思った。ところが昼から晴れたので2002年(日韓W杯)のロシア戦を見たかったが病院へ向かう。あれだけ吹雪みたいだったのに、道路の路面には雪がなかった。不思議だ。
今日の母は昨日までと比べると口も回るし、一瞬笑顔も見せたし、ちょっとよくなったように見えてほっとする。
そんなわけで夜もBSの代表の特番を見たし、病院以外はずっとサッカーを見ていた。で、日本が初めてベスト16に入った2002年のW杯、今見ると当たり前だがパススピードも精度も現在の代表の方がずっと上だ。プレースピードも運動量も違う。改めて、全盛期の中田(英)よりも今の本田・香川は上回っていると思った。以前の代表を見るととにかくシュートの精度が悪い。枠になかなか飛ばない。プレースピードに関してはもちろん日本だけじゃなくて、世界全体で現代サッカーというのはスピードが上がっている。言わずもがな。
しかしさすがに正月というか、僕にしては珍しくテレビばかり見ている。それだけやることが思いつかないというのもある。夕方になるとまた不安感があり、夕食後にレキソタンを飲んだが、今日の安定剤はそれだけ。
正月というのは何もやらなくていいのだろうか。ツイッターのタイムラインを見ても、みんなテレビばかり見ている印象だ。このところずっと何も出来ないこともあり、何もやらないことに自信を持てない。僕が一人になると不安感を覚えるのは、常にこれでいいのだろうかという疑念が湧くからだ。それでいいのだ、と言ってくれる誰かが欲しくなる。つまり、僕がこのところずっと求めているのは免罪符なのだと思う。ある意味において、僕は常に誰かに赦しを乞うている。だが、実際問題として、仮にその免罪符が得られたとしても何も変わらないわけで。僕が肯定を欲するのは自分を否定し続けているからに他ならないからなのだが、結局は何らかの意味で自分が変わらなければ意味がないようにも思える。僕が困惑するのは、変わった自分を具体的にイメージ出来ないことだ。その点、W杯を目指すサッカー選手は実に明快でうらやましい。とすると、実は僕が欲しいのは確信なのだろうか。
楽しく生きるにはどうしたらいいんだろうな。それにしても最近、やたらと眠くなるのが早い。お蔭で睡眠薬飲まずに寝られてはいるが。