今日も朝は普通に起きられた。が、やっぱり夜になって精神が崩壊、肉体は疲労の極致、頓服を1錠飲んだら眠くなってソファで1時間半ぐらい寝たのだが、目が覚めるとかえって疲労度が増していてもうどうにもならない。身体が鉛のように重い。思考もネガティブな方向に沈むばかりで、まるでタイタニックのように心も身体もずぶずぶと沈んでいく。あまりにも酷いので、こういうときは逆に無理にでも身体を動かした方が楽、というのを経験的に知っているので、小腹が空いていることもあってよたよたとスーパーに買い物に行って戻ってくると、案の定、大分人間らしさを取り戻す。それにしても毎晩これでは本当に疲れる。
で、藤澤清造「根津権現裏」読了。没後弟子を標榜している西村賢太の文体が藤澤とそっくりなことを改めて確認。何しろ大正時代の作品で当時ですら古いと言われた文体だが、やたらと難しい漢字が出てくる以外はさして気にならなかった。重い持病を抱えた貧困の極みにある者の私小説、大体に於いて私小説というものは悲惨であればあるほど面白いものだ。そういう境遇から、車谷長吉のような、ある種凄みのある文章が生まれる。そういった文体や書かれている内容とは裏腹に、どこかモダンで瑞々しいと言ってもいい若さを感じるのは不思議だ。全体の小説構造も私小説なのにどこか映画の構成を思わせるものがある。だから、実は当時としてはむしろモダンな小説だったのではないか、と思う。こういった小説が長いこと黙殺されてきたというのは、作者が貧困の果てに芝公園で凍死した、ということもあるのだろうが、西村が躍起になるのも分かるような気がする。