暗渠

この日記を書くにあたって今飲んでいるコーラについて書き始めたたところ、かつて付き合っていた女の子の話になってしまい、やたらと長文になってしまったのでその部分だけfragmentsに掲載した(「ヒロミ」)。そんなわけで珍しく2日続けてfragmentsを更新することになった。

昨夜は3時過ぎに寝たのだが枕元に睡眠薬のルネスタがなく、1階に降りて取りに行くのが面倒だったのでロヒプノールを2錠飲んだ。ルネスタは超短時間型、ロヒプノールはもっと作用時間が長い。そのせいだろうか、朝起きてみると10時だった。朝食を摂りながら珍しくテレビをつけてみるとヤンキースの田中が投げていた。6回まで0点に押さえている。なので、そのまま完封するまで見てしまった。マー君凄い。

そんなことをしているともう昼になってしまったので今日も業務は休み、所用を済ませる。今日はときおり雨がぱらつく天気。

4時過ぎに母のところに顔を出した。母は食堂の2人掛けのソファに座っていた。この老人ホームは高齢の人が多く、母は一番若い方なのではないかと思えるくらいなのだが、隣には母と年齢が近そうな人が座っていた。母はその人の手を握っていた。僕は隣にしゃがんで母の頭を撫でたりしたのだが、母は最初に僕をちらりと見てからほとんど僕の方を見ず、母の視線はどこか遠くを見ていた。母の隣の人が話しかけてきたのだがどうやらこの人は完全に呆けていて同じことを何回も何回も訊いたり、僕の問いにとんちんかんな答えをする。「旦那さんですか?」とどうやら僕を父と勘違いしているようで、「息子です」と何回答えてもまた同じことを繰り返す。何処に住んでいるかと訊くので答えると、また同じことを訊ねる。以下繰り返し。その間も母はどこか遠くを見ている。僕はすぐ隣にいるのに、僕と母の間には途轍もない距離があって、埋めようのない暗渠があるように思えた。僕はいたたまれなくてすぐに帰った。母の隣の、完全に呆けた人に耐えられなかった。もしかして認知症というのは移るのだろうかとか考えた。正直、母の隣の人が怖かったし、母すら怖いように感じた。これでは病院にいた方がずっとよかったのではないだろうかと思った。ああいう人と一緒にいると、母の精神状態に悪影響を及ぼすのではないかと。少なくとも僕なら耐えられない。

帰宅してもどうにもそのことを考えるとやり切れない。一体このことをどう自分の中で収めていいものか分からない。僕にどうすることが出来るのだろう。一体、いつの間に僕と母の間にこんな救い難い距離が生まれてしまったのだろう。今の母は一昨年僕と一緒に病院に行った母とはまるで別人のようだ。僕とは違う世界の住人のようだ。これでは去年精神病院にいたときの方がずっとよかったように思える。かといって、いまさら精神科のある病院に移ったとしても長くいれないだろうし、再び老人ホームに入るのは極めて困難になってしまうだろう。

答えが見つからない。結局のところ、現実というものはすべて受け入れるしかないのか。果たして最善とはなんなのか、僕には分からなくなってしまった。

おまけに昨日に引き続き相場でボコボコにされ、暗澹たる夜を過ごす。しかし、不思議なことに昨夜のように酷い抑うつ状態にはならなかった。ただ母のことが巨大な漬物石のようにのしかかっているだけだ。明日は母のところに行くのを休んだ方がいいのかも知れない。僕の方から少し距離を置いた方がいいのかも知れない。そうじゃないと、何かとても深くて暗いところに僕も引き摺りこまれてしまいそうだから。

どうやったら母は元に戻るのだろうか。そればかりを考える。と同時に、少しそこから離れて違うことを考えなければとも思う。僕は僕として生きなければならない。

結局今日も映画は見れなかった。今読んでいるのはコーエン兄弟の弟、イーサン・コーエンの短編集「エデンの門」。


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