8時起床も、毎朝3度寝も4度寝もしなければまともな睡眠を取れないというのは辛い。朝から快晴で予報どおり暑くなりそうだったので業務へ。正直冷房ががんがんに効いていて業務中は身体が冷える。しかし、1時間に1回外に出て一服すると、午後からの日差しは暴力的と言っていいレベル、まるでゴジラの吐く放射線を浴びているよう。
とにかく外は凄まじい暑さ、しょうがないので少しは暑さが収まるまでと引っ張っていたら結局久々の8時間業務になってしまった。日が陰ると多少はマシになる。スーパーで買い物をして帰り、夕飯の米を仕掛けて母のところに。今日も母はそこそこ落ち着いていた。
夜はツイッターのTLで発見した、「死んで生き返りました」というマンガによる体験談を読む。下手な小説よりよほど生きるということの意味が見えてくる。一度心肺停止して、脳浮腫で脳が腫れて完全に精神が崩壊した人がここまで客観的に把握してマンガとして記録出来るというのは本当に凄い。今の母の精神状態もこういう感じなのだろうかとか、もしかしたら母の精神も元に戻るのではないだろうかという希望を抱かせてくれる。なんつーか、生きるってこういうことなんだなと改めて考えさせられる。そういえば僕も、かつて抗うつ薬のSSRIを過剰に(2種類)処方されてセロトニン症候群という重い副作用で臨死体験らしきものをしたことがある。最初は自分が喋っている言葉が意味のない音の羅列になるというある種の錯乱症状が出て、ある日ソファで一時的な昏睡状態みたいなものに陥った。気がつくと自分が寝息を立てているのが分かり、それを上空から僕は見ていた。つまり幽体離脱である。そして僕の意識は途中で不意に完全にブラックアウトした。あのまま死んでてもおかしくなかったなあと思う。というか、人間は自分の死を認識出来ないのだなと思った。それでそういうときというのは物凄く客観的になる。(幽体離脱というのも客観性の認識の仕方だったように思える。)それは一昨年悪性リンパ腫という癌を宣告されたときもそうだった。自分がもしかしたら死ぬかもしれないというときに、人間は次第に客観的になっていく。まるで他人事のようになっていく。もしかしたらそれは逃避本能によるものかもしれないが、ある種の救済なのかもしれない。僕はこのマンガの人のように本当に一瞬「死んで」しまって戻ってきたわけではないので、こんな風に生きるということを改めて見つめ直すことは出来なかったが、こうした体験談を読むとそこには希望も救済もある。つまり、生きることにこそ希望があるのだなと。
その後はネットで山田大記が先発したドイツ2部のカールスルーエの試合を見た。立ち上がりこそボールタッチが少なく試合に入り切れていない感じの山田だったが徐々に持ち味を発揮、2度のシュートはいずれも枠をとらえていた。前半にはペナルティエリア前でのフリーキックも蹴った。山田は83分までプレー。総じて好印象だったが、もう少し余裕というかゴール前での落ちつきが欲しかった。特に2本目のシュートはダイレクトで打たず一度トラップしてればなと。ジュビロのときのような頭抜けた巧さというものは見られず、まだ硬さがある印象。まだ25歳、これから慣れればもっとよくなるだろう。ドイツ2部というと大迫のいた1860ミュンヘンがボールを繋がず放り込む大雑把なサッカーだったけれど、カールスルーエのサッカーは凡ミスこそあるもののそこそこ連動性があり見ていて面白い。ただ決定力に欠ける。それだけに山田が活躍する余地は十分。