立冬のショパン、その女アレックス

金曜日。

暦の上では立冬の本日、起きたのが遅かった(9時半)せいもあり、朝と日中はそれほど寒さを感じなかったが夜になると冷える。起きたのが遅かったとはいえ、寝たのも遅かった(3時半)ので朝からあくびが絶えない。それと今日は夕方近くまで頭の鈍痛が抜けなかった。そんなこともあり、午前中は一人掛けのソファで、午後はコタツでそれぞれ1時間ずつ昼寝してしまった。結局今日は相場のポジションを持たず、ほとんどの時間を本を読んで過ごす。

夕食後母のところに行くと、今日も母は柔和な表情を見せて落ち着いていた。部屋のベッドに寝かせてから、ふと思いついてiPhoneを取り出して音楽を聴かせようと思った。ウエストバッグからイヤフォンを取り出してから、そういえばiPhone自体にもスピーカーが内臓されてるのだなと気づき、そのまま枕元でショパンのエチュード集を再生した。1曲聴いたところで母は「やっぱりショパンはいいね」とぽつりと言う。そのうち有名な「別れの曲」になる。しかし、エチュードなのにどうしてこの曲が「別れの曲」なのだろうかとふと思う。そういう副題でもついているのだろうか。再生している間母はじっと聞き入り、このiPhoneで控えめな音量ながら音楽を聴かせるというアイディアはまんざら悪くないなと思う。もっと早く気がつけばよかった。そんなわけで帰宅後にYouTubeでドビュッシーの代表曲をダウンロードする。今度母に聴かせようと思って。

夜は雇用統計があったが昨日書いたように今日はポジションを持たず傍観。実際のところ、いろいろ考えたがよく分からなかった。世の中の人もそうだったようで、結果的には大きなトレンドには繋がらなかった。

そんなわけでピエール・ルメートル「その女アレックス」読了。確かに評判通り面白かった。前にも書いたように各章が短く、映画のカットのようにシーンが切り替わるのでテンポがいいし非常に読みやすかった。あとがきによるとルメートルは脚本も書いているらしく、この小説も映画化が進んでいるらしい。実際この結末の溜飲の下げ方はハリウッド映画っぽい。主人公の一人であるアレックスはあくまでプロットのための役割に徹している。この小説は読者にしても作中の登場人物にしても、「してやられる」小説である。アレックスの視点はそのためにあると言っていい。そういう意味では叙述ミステリ的な部分もある。結末から逆算して徹底して計算されており、意図的に読者を翻弄するが、それはプロット自体というよりもプロットの進め方に翻弄されるという感じだ。そんなわけだから再読が利く小説ではない。いささか腑に落ちないのは、結果的に一人勝ちする人物が果たして最後に書かれているように本当に正義かどうかという点。厳密に言えばすべてが解決しているわけではなく、ほとんどの人は最後で快哉を叫ぶのであろうが、もっとすべてをクリアに落とし込むことも出来たのではないかとも思う。読後に気になるのはやはりアレックスがプロット及びその進め方のための存在でしかないことか。もっと人間としての魅力を描くことは出来なかったのかとは思う。もちろん、この書き方、この計算上ではある側面からしか書けなかったのだろうけれど。という具合にいろいろあるけれど、ミステリという点では非常によく出来た面白い小説ではある。一時アマゾンで品切れになっただけのことはある。


その女アレックス

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