土曜日。
今日よかったこと ― 母が笑ってくれたこと。
今日の収穫 ― スクワットと腕立てを少々したこと。
頭頂部が禿げる夢を見て朝目が覚めた。夢とはいえぞっとした。一昨年悪性リンパ腫の治療の際に抗がん剤の副作用で髪がほとんど抜けたけれど、スキンヘッドには至らなかった。坊主頭程度。部分的にでも禿げるというのはかなりインパクトがある。普通は少しずつ少しずつ徐々にそうなっていくのだろうけど。
起きたのは8時45分ごろか。外はいい感じで晴れていた。昼食用のサンドイッチを作って業務に行ってみた。相変わらずまったくツイてない。業務に行くのは今月3度目だが今月全敗。というか、先月末から5連敗だ。まあ確かにやる気もないのだが。やる気がないだけに負けると酷く無駄な銭を使った気がしてしまう。ああこれでいいメシが食えたんじゃないかとか。要するに業務頭、業務の思考になっていない。実際、今日は土曜日なのに店は空いていて、トイレに貼り紙がしてありそれを見ると今月から交換率を上げたようだが、にも関わらず客足は減る一方、どうやらこの調子ではこの町に一軒だけのこの店も遠からず閉店に追い込まれそうだ。これはこの店だけに限ったことではなく、業界全体の流れによる必然だ。何しろこの10年以上年々期待出玉が減る一方、つまりリスクに見合う見返りがない。客が減っていくのも当たり前である。この業界は自らの首を絞めているのだ。客というのはそこまで馬鹿ではない。誰でも度重なればそれなりに気づく。それなりに学習する。
帰宅して茶の間のコタツでナビスコカップの決勝、ガンバ大阪対広島の後半だけ見た。結果は3-2でガンバの優勝。直後に物凄い眠気が襲ってきてそのまま気絶。しかしコタツで昼寝するなという方が無理。
それ以外は今日もちまちまと本を読んでいるだけの一日。今読んでいるのはフォークナーの「八月の光」。読み始めてから思ったのだが、辞書みたいに分厚い文学全集なので持ち歩くのに不便だなと。だが途中まで読んでしまったしフォークナーは以前「響きと怒り」を読んだときにも思ったけど、難解で読みにくいのだが読み終わったときに凄く腑に落ちる、つまり山登りに似たカタルシスがあるので長い小説だけど最後まで読みたい。しかし最近本を読んでいてとみに思うのだが、壊滅的に記憶力が落ちていて名前とかなかなか覚えられないし文章がなかなか頭にすとんと落ちて来ない。しばしば読み返したりするのでなかなか前に進まない。それにフォークナーは文章が長くなる傾向にある。たかがこれしきということになんでこんなに言葉や文章を費やすのかと思うのだが、それでいて冗長という感じではなく、どちらかというと思索が深いという印象。
今日は音楽を聴いているとどうも読書に集中出来ない。特にジャズ(マイルスのライブとか)を聴いているとそっちに気を取られてしまう。マイルスとかを聴くと緊張を強いられるせいか。しかし、かといって毒にも薬にもならないような80年代の音楽とかかけるとそれはそれで耐えられない。もはや(音楽的・和声的に)テンションの低いコード進行に耐えられなくなっている。モーツアルトとかクラシックは別。あとはレッド・ツェッペリンとライ・クーダーも大丈夫だった。ジョニ・ミッチェルとかも。
いろんな意味で集中力・判断力・記憶力・読解力・理解力、そういったものがことごとく落ちている気がする。これは単純に歳のせいとかで済ませられる問題なのだろうか。例えば、昨日読み終わった「その女アレックス」のピエール・ルメートルは55歳で作家デビューしているし、80歳を過ぎてまだ小説を書いている人もいる。もしかして、元々僕はそういったものに欠けていたのだろうか。ただ、イマジネーション・発想力というものは以前より明らかに落ちていると思う。文章ひとつ書くことにしてもそう思える。一番致命的なのは集中力、一番危機感を覚えるのは記憶力というところか。今のところ。