ブレイキング・バッド

木曜日。終日雨。

夜、とうとうドラマ「ブレイキング・バッド」を見終わった。長かった。シーズン5の後半、これをどう終わらせるのだろうかと思ったが、見事に完結させたと言っていい。伏線が綿密に張られてそれが収束する。しかしながら、この長いドラマを見ていて途中から思ったのは、人が殺されたり死んだりすることで溜飲を下げるというのは果たしてどうなのかということだ。それは「正しい」のだろうかと。よくよく考えればあらゆるドラマや映画でそれは当たり前のことなのだが。それは大概の場合勧善懲悪であるけれど、このドラマの場合は主人公自体が善なのか悪なのかはっきりしない。「ブレイキング・バッド」というタイトルに表されているように、主人公はどんどんと悪の深みにハマっていくからだ。主人公であるウォルターは犯罪者であり、世間一般の物差しで言えば悪ということになる。しかし見ている観客はウォルターに肩入れすればするほど、ウォルター以上の悪人をウォルターが無慈悲に殺せば殺すほどカタルシスを得る仕組みになっている。つまり、見ている側も悪に染まっていく。まさに「ブレイキング・バッド」だ。その意味では不思議なドラマであり、実に巧妙に出来ていると言える。ここでは善と悪はある意味程度問題に置き換えられている。だが、無慈悲に相手を殺すことが果たして程度問題なのだろうか。このドラマの中には無残な死がてんこ盛りに出てくる。最終的には悪は破滅する。にも関わらず、何故見ている側は最後でカタルシスを得るのか。恐らくそれは巧妙に張られた伏線が収束すること、プロットに破綻がないこと、見る側が最後までウォルターに肩入れしたままでいられることか。ウォルターの弱さと裏腹に彼が土壇場で発揮する周到な計算高さ、そこに見ている僕らはカタルシスを覚える。そして、最後の最後でウォルターという男の生きざまを見た気がするからだ。

これは男のドラマだった。このドラマの中の女性はあくまでも足を引っ張り、いらいらさせる役割だ。それは恐らく典型的なアメリカ女性として描かれているせいだろうが、彼女たちは徹頭徹尾感情で動き、周囲を混乱させるだけなのだ。その意味ではもっと魅力的な女性のキャラクターが欲しかった気がしないでもない。終わり方で残念だったのは、最後の方でジェシーとの関係性が崩れていくのを完璧には落とし込めなかったところか。もっとも、ジェシーは終始弱さの象徴として存在していた部分があるので仕方ないのかもしれないが。

それにしてもこのドラマ、ハエ一匹取っても妥協のない映像、もちろん各俳優陣の演技も含めて、アメリカの本格的なドラマの質の高さに驚く。日本のドラマとは予算が違うんだろうなと思う。とにかく、社会現象になるぐらいの人気を得たドラマだけのことはあった。確かにアメリカのドラマはやたらと長く、途中ダレていらいらするだけの回というのも少なからずあったけれど、あらゆる意味で「ツイン・ピークス」を遥かに凌ぐ出来だった。

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夜になって「ブレイキング・バッド」を最後まで見ることが出来たのでそのこと自体にそれなりの満足感はあるけれど、今日も日中はまったく何も出来なかった。本も読めなかった。午前中また1時間ほどソファで寝て、昼前から3時間弱の業務に行っただけ。帰宅してからはコタツでまた寝てしまった。今日は朝何度寝直してもすぐに目が覚めてしまい、8時過ぎに起きたのだが、そのときも午前午後昼寝したときも徹底して夢の中でも煮詰まった。何度夢を見ても収拾のつかない閉塞感しかない夢しか見れなかった。それで目が覚めるたびに実に嫌な気分、閉塞感だけが残る。その意味では朝から夕方までずっと強迫観念に悩まされたような感じだった。これだけ日中何も出来ない時期というのもあまり記憶にない。これもある種の抑うつ状態なのだろうか。とにかく何も出来る気がしない。寝ることぐらいしか思いつかない。かといって寝ると夢を見て強迫観念に悩まされるという堂々巡り。これでは日中、朝から夕方までの時間がないに等しい。真面目に頭が痛い。どうして何も出来ないのか、さっぱり分からないから始末に悪い。

一応相場の指値はしておいたもののさっぱり成立する気配がなく、そもそも相場に対する頭も回らず、今日はしょうがないかなと思っていたら気がつかないでいるうちに先ほどひとつ指値が成立していた。寝る前に決済するか、それとも明日に持ち越すか。

例の片付けノートは継続しているが、今日は2つしか捨てられなかった。それでもいいらしい。とにかく続けることが大事で。ほんの少しずつしか物を捨てていないにも関わらず、片づけノートをつけ始めてから案外と片付く。それと同時にゴミが溜まるのも早く、出来れば明日の朝ゴミを出したいところだけれど今の調子では無理そうだ。

今日の母は柔和な表情を見せて機嫌がよさそうに見えた。珍しくテレビのバラエティ番組に興味を示していた。料理を特集していたからだろうか。

今夜も窓外では激しい雨が降っている。予報ではしばらくこんな天気が続きそうだ。来週には最低気温が零度を下回るらしいので、その辺で雪になってもおかしくない。北海道では今日辺りすっかり雪らしいし。今のこの何も出来ない状態で雪に閉じ込められたらどうなるのだろうか。昨日今日と、とにかくコタツに入ったら一巻の終わり、即座に寝てしまう。寒さにも弱いし暖房にも弱いからどうしようもない。なんでもいいから日中に何か出来るようになりたい。ただ文章を書くのでもいいし楽器を弾くのでも構わない。相場に集中するというのもひとつの手ではあるが、闇雲にポジションを取るのでは意味がない。第一、その集中力というものがないのだ。とにかく日中はいい方に頭が回らない。今日辺り実にしみじみと思ったのは、人間寒いとか眠いとかいうものにはどうしても抗えないものなのだなということ。僕のような人間は雪山で遭難したら真っ先に寝てしまうのではないだろうか。

明日は代表の親善試合、ホンジュラス戦があるのが救い。なので、母のところにはいつもより早め、午後に行こうと思う。


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