無題

1月2日、金曜日。

大雪を覚悟していたのだが朝起きてみると外は青空だった。朝食後は雪かき。そのうち空が真っ白になり雪が舞い降りてきて、ああやっぱりなと思うとまた青空になったりで、結果的にはそれほど雪は降らなかった。

今日は日中ダルくてまいった。大方朝の雪かきのせいだろうとは思うものの。昨夜から見始めたジョン・レノンのドキュメンタリー「イマジン/ジョン・レノン」を最後まで見る。ジョン・レノンて誰かに似てるなあとずっと考えながら見ていたのだが、結局ジョンはジョン・レノンに似ているということだった。つまり、ジョンが誰かに似ているのではなく、誰かがジョンに似ているということ。そういったある種の既視感は中学から高校にかけてビートルズを聴きまくり、名画座に通い詰めてビートルズの映画を見まくったことから来るのだろう。中学から高校にかけて僕はクラシック・ギターをやっていて、本気でクラシックのギタリストを目指していたのだが、クラシック以外で聴いていたのはビートルズばかりだった。あれから途方もない年月が経ち、今ではただの1枚もビートルズのCDを持っていない(たぶん2階の自室にはまだアナログのレコードはあると思う)。最初は純粋に音楽的にポールの方に夢中だったが、聴き込んでいくうちにむしろ僕の興味はジョンの方に移っていった。そういう人は結構多いんじゃないかと思う。ビートルズの音楽的斬新さはポールにあるが、バンドとしてのコアはむしろジョンに象徴されていたように思う。いずれにしてもジョンとポールという、奇跡のような組み合わせて出来たのがビートルズであることは間違いない。いささか凡庸な感想を述べれば、このフィルムから見えてくるのは神としてではなく、一人の人間としてのジョンだった。ジョンの最終的な伴侶がヨーコ・オノという日本人であったということは、いまさらながら不思議なものに思える。もちろん、それは僕が日本人であるからだ。こんな風に、人は誰しも自分との関係性を特別なものと思いたがるのである。まるでそれが何かの縁か、あるいは運命であるとでもいうように。

前述のようにとにかくダルくて、あくびばかりしていた。例によってテーブルに突っ伏したりもしたが30分も眠らなかった。今日は年賀状は1枚も届かず、何をしたらいいのかさっぱり分からないし何をしたいのかすら分からなかった。ダルくてしょうがないが青空が出ているうちにとスーパーに買い物に行った。後は本を読んで過ごした。

気がつくと日が落ちて冷えてくる。外は氷の世界になる。レトルトのカレーで夕飯を済ませて母のところに行くと、駐車場ががちがちに凍っていて滑って転びそうになる。

夜はスタローン自身が監督した「ランボー 最後の戦場」を見てしまった。スタローンも随分老けたなあと思ったら、この映画の時点で既に60歳を超えていた。人間いくつになっても鍛えればこれぐらいの筋肉はつくのだなと思った。映画自体はいつもの単純極まりない、ロクにストーリーらしきものもない映画だったが、CGを駆使した残酷なシーンが多くエグいなあと思う。正直、なんでこんなもの見ちゃったのかなあという感じ。

で、アゴタ・クリストフ「第三の嘘」読了。ツイートを引用すると、

ということになる。「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」と移っていくにつれ手法が次第に普通の小説になり、それとは逆にストーリーの輪郭は(意図的に)曖昧になる。普通三部作の完結編であれば最後に全体像が見えてくる筈なのだが、この場合は逆だ。すべてが嘘になり、どれが本当なのか見分けがつかなくなる。そんなわけだから、「悪童日記」における潔さみたいなものを追いかけていくと読者は混沌に落とし込まれる。僕が覚えたのはちょっとした失望だった。

夜も更けて、本日3本目の映画を見ようかどうしようか迷ったが、以前中途になっていたカズオ・イシグロの「充たされざる者」を読み始める。物凄く長い小説でしかも不条理がテーマなので最後まで読み切れるかどうか。冒頭から少々混乱する。この小説は最初からリアリティというか整合性を無視しているところがある。例えば最初のエレベーターの中での会話、これが本当ならこのホテルは何百階という高さがあることになってしまう。それぐらい長い。

しかし正月というものは退屈だ。年始に親戚でも訪ねた方がいいのかとも考えたが行くタイミングが分からない。かといって誰も訪ねてくる気配もない。明日は予定では弟が来ることになっているが、それも天気次第のところがある。もちろん、雪など降らないに越したことはない。


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