1月6日、火曜日。雨。雪は降らなかった。
1時半過ぎに寝て、7時20分にアラームをかけて起きた。燃えるゴミが2袋溜まっていたので出したかったのだ。無事ゴミは出すことが出来たものの、案の定眠い。PCを立ち上げてまず昨夜から持ち越した相場のポジションがまだ生き残っているかどうか確かめる。なんとか生き残っていた、と思った途端に目の前でみるみるうちに下がってストップを食らった。懲りずにまたポジションを取る。
そんなことをしているうちに朝食後眠気がどうしようもなくなり、例によって台所のテーブルに突っ伏して気がつくと1時間ほど寝てしまう。目が覚めて煙草を一服してみるが、眠気は一向に覚めるどころかますます眠くなり、書斎を暖めていたこともあり諦めて久々にソファで毛布を被って午前中一杯寝てしまう。
ところが今日はこれでも眠気は治まらず、午後になって相場のポジションを改めて取ったりしているうちに猛烈に眠くなりまたソファで気絶。こうなるともはや諦めの境地。夢を見ながらもうどうにでもなれという感じ。奈落にでも落ちたような原因不明の眠気だった。
こうして今日は午前中は全滅、午後も昼寝と日中はほぼ寝ていたようなもの。異様に寝てしまった。原因不明ではあるが無理やり原因を探ると考えられるのは2つ。
1)朝ゴミ袋を2つ(かなり重かった)抱えてゴミ置き場まで往復(ゴミ置き場は結構遠くて歩いて片道4分ぐらい)したことによる疲れ。まあにわかには信じ難いことではあるが、それぐらい今は体力がないし実際に疲れは感じてはいた。
2)朝から相場で大敗を食らったことによる脱力感。
こんなところか。まあ多少夜の睡眠時間がいつもより足りなかったというのはもちろんあっただろうが、それにしても寝過ぎ。
夕方になって相場が好転してなんとか大敗の半分ぐらいを取り戻す。その後母のところに。今日の母は調子が悪かった。虚ろな目をしてホールの一角をぼうっと見つめている。で、突然僕が疑われていると言い出す。なんのことかと思いきや、何かがなくなったという声が聞こえるのだと言う。どうやら幻聴があるようだ。何か物がなくなって、それが僕か母のどちらかが犯人だと誰かが言っているというのだ。これは統合失調症を発症したころの症状と同じで、発症したばかりのころは丸一日こういった「悪いこと」を言い続けていた。部屋に連れて行ってベッドに寝かせてテレビをつけると母はようやく落ち着いた。
帰宅して遅い夕飯を摂ろうとして、PCを見てびっくりした。ツイッターのTLに自分のアカウントで大量のスパムツイートが。どうやらアカウントを乗っ取られたらしい。慌ててアプリの連携を確認するがそれらしいものはない。ひとまずパスワードを変更した。以前グーグルとニコ動で不正ログインされたことがあり、そのときのパスワードと同じになっていたのでそれが原因っぽい。なので、ニコ動の連携を解除、それからツイートを削除したが、見るとリプライで全部のフォロワーとフォロー先にスパムツイートされていたのでそれをせっせと全部削除した。まったく疲れる。こういう、アカウントの乗っ取りとか不正ログインされたりすると極度にナーバスになるので精神的にへとへとになる。しばらく疑心暗鬼が消えない。
その後は相場でじたばたしてみるが、今日は相場が薄いのか振り回されただけに終わる。しかしながら大敗を免れたことは有難いと思わなければ。
何しろ日中ほとんど寝ていたので夜になるのが早い。気がつくともう夜も更けている。眠気と相場に振り回されて終わってしまった。とにかく意識のある時間が短かったので一日を無駄にした感凄い。かといってここでまた夜更かしするというのも気が進まない。いろんな意味で気分的に上下が激しい一日だった。うつ病の影響・病状もかなりあると思う。つくづく人間というのは気分と感情で生きていると思う。
そういえば今日はツイッターでたまたま流れてきた水木しげるの言葉に感銘を受けた。
これはネガティブになりがちな自分にとって幾分かの救いになる言葉だ。特に「怠け者になりなさい」というのは随分と救いになる。「しないではいられないことを続けなさい」とか。僕の場合は「勝ち負けを目的にことを行ってはいけない」という辺りにバッティングしている感がしないでもないが。「好きの力を信じる」とか「努力は人を裏切る」(これは怠け者になりなさいに通じる)とか凄いなあと思う。「目に見えない世界を信じる」というのは漠然としてすぐには把握出来ないが、なんとなく希望を感じる。この「幸福の七ヶ条」、しばらく座右の名にしたいくらいだ。したいこと、好きなことだけやって怠け者でいていいなんて、なんて素晴らしい言葉なんだろう。
ところで、テレビの天気予報によると明日は猛吹雪になるというのだが……。