臥せる人

7月18日、土曜日。

8時半前に起きたのだが、朝食後眠気でぐらぐらでどうしようもない。7時間近くは寝ているはずなので一体どういうわけなのか。台所でヤンキースの田中の登板試合を見ていたのだがマー君にかつての切れはなく、それよりなによりどにかく眠くてぐおんぐおんしてどうにもならないので10時過ぎにソファでタオルケットを被って寝た。女子サッカーと相場のチャートのロウソク足が被るというよく分からない夢を見て、目が覚めるともう昼を過ぎていた。かくして午前中は消滅。2時間ばかり昼寝したのでさすがに眠気はとれたのだが、どうにも調子が悪い。なぜか手に力が入らないし食欲がまったくない。放っておくとまた横になりたいと思ってしまう。これではまさに病に臥せっている人同様ではないかと思い焦る。何か食べなくてはと冷凍のピラフをレンジで温めて昼食。これで若干ましになった。しかしながらこれではいかにも病弱過ぎるのではと思う。確かに体力もないがまるでただの具合が悪い人のようである。寝たきりになりそうというのは大袈裟だが、いかにも病気療養中、もっといえば自宅入院状態のような気がしてしまう。

今日は予報では暑くなるはずだったのではないかと思ったが、窓を開けていると日中から案外と涼しかった。huluで相米慎二監督「魚影の群れ」を見始めたのだが、どうも家にいるとまた寝込んでしまいそうな危機感を覚えて、久しぶりに車で20分かけてドトールに行った。そろそろガソリンを入れるついでもあったし。

路傍の気温計は24度とか25度、どうりで涼しいはずだ。冷房の効いたドトールはむしろ寒いくらいだった。カフェ・ラ・テを飲みながらしばらく本を読んで、それから中座して隣接する本屋を見て回った。読んでみたい本はやたらとあり、正直これでは人生がいくらあっても足りないなと思う。何か買って帰ろうと思ったがそうすると買いたい本はあまりにあり過ぎて迷う。それにハードカバーは高い。読んでみないと面白いかどうか分からない本に上下巻合わせて4000円も出すのはさすがに勇気がいる。目をつむって欲しい本を片っ端から買ったら一体いくらになるのだろうと思ったが計算するのはやめる。そんな中でどうにも読みたくなった佐藤正午「鳩の撃退法」上下巻をええい買ってしまおうと手に取ったのだが、下巻の背がほんのちょっと汚れているのが目に止まり思い留まった。いずれアマゾンででも注文しようかと頭に留めておく。いずれにせよ、まだ読んでない本は自宅に山のようにあるし、書斎の壁を埋める父の書棚の本(古典がほとんどだが)すらほとんど読んでいないのである。

夕方近く、ドトールの帰り道は雨が落ちてきた。途中スタンドに寄ってガソリンを入れて帰宅。

まあ日中から24度だの25度だのだから当たり前なのだが、夕方以降は窓を開けていると肌寒いくらいに涼しくなる。総じて今日は過ごしやすい、ちょうどいいくらいの気温だった。例によって6時半ごろに母のところに行き、帰宅後に夕飯。夜は「魚影の群れ」の続きを最後まで見る。この映画、これまで何度かトライしていたのだがそのたびに津軽弁の台詞がよく分からないという理由で挫けていたのだが、ようやく最後まで見れた。同じ東北でもよく分からないくらいだから、一般の人が見ると台詞の半分ぐらいわかんないんじゃないかと思う。大方の相米映画と同じく、よく出来ているのだが大傑作というほどでもない。しかしながら、生きたマグロを釣る場面とか、一体どうやって撮影したのかと感心。相米慎二は長回しが有名だが、確かに撮影はとてもよく出来ている。個人的に一番好きな相米の映画は「光る女」。

それにしても、昼寝してしまう癖(いや、癖ではないのかもしれないが)、なんとかならないものだろうか。確かに丸一日眠気につきまとわれて茫洋と過ごすよりはましなのかもしれないが、いくらなんでも2時間は寝過ぎだと思う。まったくもって、現在の自分に適切な睡眠時間というものが分からなくなった。

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